2016年12月21日水曜日

原理本性論試論(創造本性論編) 

前稿(原理本性論試論:問題提起編)において神が男性格主体だからという理由で神は天の父と規定することは、それを踏まえ反論している天の父母様論に対しては脆弱であることと、結局双方とも神は両性具有神であると言っておりそれがキリスト教から見れば異端教として排斥を受ける問題があることを論じた。ここではその問題を解決する論として、原理本性論の試論を論じていく。


原理本性論試論(創造本性論編) 
2.夜の神様は圧倒的究極的に男性的な父である。
2-1:創造主の神様は天のお父様であり、天の父母はその被造物である。


原理本体論に「神様は二つの生殖器を持っている」と記述してあることに対する國進様の見解を取り上げる。
國進様: お父様は天聖経の中で明確に神様は父であると言われています。神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。
神様には女性的な性質もありますが、それはより小さな性質であって主要な性質ではありません。
神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。
ですから神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。
私達の立場は、基本的に天聖経に基づく解釈であり、お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。それが答えだと思います。
男性的主体はペニスを持っています。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答


國進様は明確に、神様は圧倒的主体であり男性であると言われた。
この神学は、人間の男性と同じように女性的要素は男性誰しも持っているが男性は男性生殖器だけ持っ存在であるから男性であると規定できるように、神様は女性的要素を持つが男性生殖器を持つから男性である。その神様の女性的性質は被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた、つまり神様には男性生殖器があるが神様自身には女性生殖器は無く被造物である究極の対象女性に女性生殖器が現れたということである。


原理講論には神とは
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体と書いてある。
これに対し國進様は神は圧倒的に男性だと言われる。
真のお父様が前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると言われており、このような神を圧倒的男性と規定することは非常に困難である。


それでは國進様のこの神学は間違っているのだろうか?


(原理講論)
被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。


ここに國進様が言われる「圧倒的男性・本性相的男性」が記述してある。


この原理講論の記述にある「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられた」という位相の神様が國進様が言われる圧倒的究極的男性格主体である神様のことである。原理講論の記述「男性格主体としてのみ」という表現を國進様は「圧倒的男性、圧倒的主体」と表現しておられに過ぎない。同じことを言っておられるのである。


このように被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみ」の存在であるので、この性相的な男性格主体としてのみの神以外の、創造後の一切全てが「形状的な女性格対象」であり、その一切全てがこの究極圧倒的男性格が究極圧倒的主体の立場で創造した被造物なのである。


このような「究極圧倒的男性主体・究極圧倒的本性相的男性」である神の本性は何であろうか?
國進様: お父様が夜の神様をどのように説明されていたかといいますと、夜の神様は創造前に存在されていた神様だと言われました。それは永遠の神様であります。そして昼の神様については、創造の後で存在するようになった存在だと言われました。ですから昼の神様は創造された存在です。                  2016年10月31日


國進様はこのように昼の神様とは夜の神様が創造された被造物であると規定された。
つまり
この性相的な男性格主体としてのみ存在する神が夜の神様の姿であり、この被造物である
「形状的な女性格対象」は昼の神様のことなのである。これが原理本性論の中核である。


原理講論「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。
この記述は原理講論のなかにおいて唯一と言える夜の神様の姿に関する記述でもある。


このように究極圧倒的男性格主体である夜の神様の真の父母思想とその思想による原理によって創造された形状的女性格対象が昼の神様なのであり夜の神様から見れば被造物なのである。


このことについて亨進様は
「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。
時空間でさえも夜の神が創造された被造物なのである。


このように原理講論が「被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられ」たと記述するこの位相の神は時空間も光も創造される前の夜の神様のことである。
そして明確に「形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである」つまり形状的な女性格対象は被造世界と書いてある。
夜の神様はそのような形状的な女性格対象を創造せざるを得なかった。即ち「夜の神様とは性相的な男性格主体としてのみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である」と言い直すことができるのである。
これが國進様が言われる究極圧倒的男性という意味である。


コリントⅠ一1章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証している。
このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)
ということなのである。


では次の記述の神の存在はどのような位相であろうか?
(原理講論)
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。


夜の神様は性相的な男性格主体のみの存在であり、形状的な女性格の一切を持たない存在である。しかしこの神は形状的女性を持っている。形状的女性は性相的な男性格主体の被造物である。
ゆえに明らかにこの「本形状的女性を持つ神」は「本形状的女性を一切持たない性相的な男性格主体のみの存在である夜の神」が創造した被造物である。


従って(原理講論)に記載される本形状的女性という性相を持つこの神様の位相は三位一体論で観るならば、明らかに性相的な男性格主体としてのみ存在される夜の神様が、被造世界を創造されるときに現れた昼の神様としての位相であることが理解できる。


究極的圧倒的男性格主体である夜の神様の真の父母思想と原理によって創造されたのが形状的女性格対象が昼の神様である。
この形状的女性格対象である昼の神様は本性相的男性である父なる神と本形状的女性である母なる神との二性性相の中和的主体であり、全ての被造物に対しては性相的な男性格主体としていまし給う父母なる神である。
昼の神である天の父母は「究極圧倒的男性である夜の神様」の被造物として三位一体*なので性相と形状の関係から見れば形状的な被造世界に対しては性相的な男性格主体としていまし給うと言うことができるのである。

これがなぜその中和的主体を性相的な男性格主体として規定できるかという理由である。
つまりこの中和的主体を創造された夜の神が究極圧倒的本性相的男性主体であるからだ。

以上のように


夜の神とは真の父母思想により、本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の父母二性中和的主体である昼の神を創造され、昼の神を主体とする被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う絶対的創造主であるという事実を知ることができる。
被造世界が創造される前には、夜の神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神を創造せざるを得なかったのである。
その夜の神様の女性的性質は昼の神様の究極圧倒的女性格対象であるエバに女性生殖器として現れたのであり、このエバを求めて夜の神様の天地創造が始まったのである。


天の父母様とは被造物である我々から見れば昼の神様であるが、昼の神様は夜の神様の被造物なので究極的創造主を呼ぶ場合は天のお父様と呼ぶことが正しい。
これが神様が男性格主体であり父と呼ばなければならない理由であり、何故天の父母ではなく天の父と呼ぶべきかの理由である。


夜の神様からみる天の御父様の四位基台

2-2:両性具有神は被造物昼の神であり創造主は男性である。


夜の神様と昼の神様の関係を真のお父様のマルスムから見てみる。
夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。
(297:226、1998.11.20。)

​夜の神様は第1創造主であり、昼の神様は第2創造主だ。
(1998.8.21。)

​真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。​
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
​真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。

​夜の神様は真の父母の実体圏のために万物を創造した。
(1997.8.9)

イエス様が真の父母になったならば、
本体のみ言葉の実体になり、本体的な実体になられる。
​イエス様は昼の神様になって夜の神様と一体となり、天地人真の父母になられる。
​神様の直接主管圏時代が始まる。
(1999.12.26.)



創世以前の神について聖書には次のように書いてある。
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは
ひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。 
     
 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

このことについて亨進様は
「夜の神様」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神様」です。」

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮

と説かれた。

これは「神と共にあった始めにあった言葉とは真の父母思想であり、真の父母様は夜の神様の真の父母思想によって創造された昼の神である。」ということであり、その創造の過程で現れる「有」の状態、時空間の創造後の動きが昼の神様であるということである。
創造主である夜の神様の位相、属性が昼の神様を通して現れるのである。


昼の神が本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体として創造されたのであるから、この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成されていることがわかる。

原理講論や原理本体論の創造原理に記述してある二性性相の神は太初の昼の神様の姿であることは先の項「2-1:創造主の神様は天のお父様であり、被造物の神様は天の父母様である。」にて考察した通りである。


それだから真のお父様や原理本体論が言う男性生殖器と女性生殖器を持つ神とは、

「光と時空間創造以降」の父性と母性の二性正相の中和的主体として光と時空間創造後の展開の中で生じる神様であるがゆえに昼の神様と規定できる。

夜の神様はそのような形状的な女性格対象である被造物、昼の神を創造せざるを得なかったのである。



國進様: 神様が被造物と究極の対象的相対である女性を創造されたとき、女性は、女性器を持った圧倒的に女性的な、つまり対象的なものとして現わされました。

2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答


國進様が言われるように、神様の女性的性質は、被造物であり究極の対象である女性に女性器として現れた。
つまり神様には男性生殖器があるが神様本体には存在せず被造物でもある究極の対象的相対である女性に女性生殖器が現れたということである。


原理講論、原理本体論に記述してある創造原理の神学の殆どは結局被造物である昼の神様についてである。

何故なら原理講論は神様を作家と被造世界を作品に見立てて被造世界の共通様相、つまり二性性相から推論していったのであるがこの帰納法的考察の対象は創造主そのものではなく、あくまでも被造物である。

従ってその収斂し行きついた先が夜の神様が光あれと創造された直後の被造物、あらゆる被造物の素材、元素でもある太初の昼の神様の姿であったのである。これが原理講論や原理本体論の言う神の姿、二性性相の神の中和的主体である。


よって次に何故そのような昼の神様をこの創造主は創造されたのかを考察し、この創造主がどのような方であるかを考察する作業が残されていたのである。これが原理講論においては被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。」という記述なのである。ここから先を解き明かすのが原理本性論の使命でもある。



真のお父様はこの絶対的創造主、夜の神様は真の父母思想を持っておられると言われた。これがこの中和的主体を創造された創造主を推論する大きな手がかりとなる。


夜の神様は真の父母思想によって二性性相の原理を創造された。この夜の神の真の父母思想による創造された原理自体が本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和から構成され、その原理によって時空間とともに創造された被造物である昼の神様は全ての二性性相、全ての被造物の素となるその太初である。それが故に被造物である昼の神様の姿は男性と女性の両方の生殖器を持つ姿として現れたのである。


この被造物である昼の神様のことについて真のお父様は男女二つの生殖器を持つ神と言われたのであり、原理本体論が言う男女二つの生殖器を持つ原理本体とは昼の神様の太初の姿についてであり、原理本体論の位置づけはこのような昼の神についての神学であり、原理本体論の言う本体は夜の神ではなくこの昼の神が真の父母であり絶対精子と絶対卵子の本体ということなのである。



聖書の目的はメシアについての証であり、原理講論が再臨主真のお父様についての証であった。
原理本体論は真の父母様が第二創造主なる昼の神であることを証すためのキリスト論的神学論であった。
その意味では原理本性論は、これはあくまでも考察の結果論であるが、夜の神様の絶対精子とお父様が決めた相続者三代王権の正当正統性を証すキリスト論的神学であるとも言える。


亨進様はこのことを次のように言われる。
お父様の、神様の精子。お父様の原理本体論中心の神様の精子。精子。神様の精子!なぜ?メシアは新郎だ!神様の精子!皆さんもご存知でしょう?女はXX、男はXY、男の種は、息子も作り、娘も作ります。XX、2つXがあると女だけ出てきます。男が出て来れません。息子が出て来れません。種が下ろせません。種!精子!神様の王権は精子を通して降りていきます。父子関係。



夜の神様の精子と父子関係、これが三代王権のキリスト論である。


精子は女性をつくるX染色体と男性をつくるY染色体の両方を持つ。これに対し卵子はXX、女性の染色体Xしかなく、精子に男性・女性の性別の決定権がある。
つまり精子単体でも父母であると言える。しかし精子は男性である。
真のお父様がお一人で父母であり、圧倒的男性である夜の神様がお一人でも父母であるのはXYを持つ絶対性精子の本体であるからだ。
母子関係(XX)では神の種が断絶する。父子関係(XY)の血統が天宙の根本原理なのであり、この父子関係が原理本本性論のキリスト論である。


従って真のお父様が、
教会に入って初めて、神様のことを「お父さん、お母さん」と呼べるようになったのに、一、二回呼んだだけで、それきり呼ばない人たちがいます。どれほどやるせないことでしょうか。また、私たちは神様を口先だけで呼ぶのではなく、心の奥から呼べなければいけません。
皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。

●「神様が惚れ込む者となれ」 第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道
と言われるこの神様は昼の神様のことであり、昼の神様の実体が真の父母様なので真の母として探し出された女性が真の母として勝利し、真の父母様が地上に出現したことを指して「父なる神様」「母なる神様」「真の父母様」、このような昼の神様の天のお母様になるべき実体である真の母が現れたので「母なる神様」「真の父母様」と呼んで喜んで頂くべきだという意味で語られたマルスムなのである。


従って、原理本正論の究極の創造主である夜の神は父であり男性である究極的主体であるから、夜の神様を母なる神様、天の父母様と呼ぶのは誤りであり、創造主である夜の神様に対しては「天のお父様」と呼ぶのが正しいのである。


「私は夜の神様から、お前たちは昼の神様から出てきた。」と言われたみ言を易しく説明すると、​私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。

文亨進様:天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮



このように原理本性論は夜の神様の精子論でもあり、これが根本根幹である。アダム・イエス様・真のお父様はこのような夜の神様の精子から生まれた真のアダムなのである。


このように真のお父様が言われる夜の神様は究極圧倒的な性相的男性格主体であり、この夜の神様まで二性性相の中和的主体と規定してしまった場合、キリスト教が忌み嫌うインドのシヴァ神などと同じ両性具有神化してしまう。そのような過ちを家庭連合の「天の父母論」は犯しているのである。
しかも、ここでは詳しい説明は省くがそのような両性具有神とエバは直接結婚しエバは神になれるという二元論の問題を持つ。*3家庭連合と韓お母様の誤謬参照

夜の神様はそのような両性具有神ではなく、昼の神様を二性性相の中和的主体として創造されたのはその真の父母思想によりそのような原理を創造されたのだから、夜の神様はそのようなみ言を語る頭と口を持ち、その思想を具体的に作り出す手を持ち、真の女性・真の母を求めて天宙を創造して走って行かれた足を持つ男性、このようにその姿を推論できるのである。


聖書「コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」
とはこのことを言っているのである。


コリントⅠ一1章7節「男は、神のかたちであり栄光である」
神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(原理講論)


これらの聖句と原理講論・原理本体論の解釈に対して、國進様は神様は圧倒的、究極的な主体の存在であり、ご自身を圧倒的に主体的、あるいは男性的なものとして表され、示されています。神様は、二つの性質を持ちますが、圧倒的に男性的な父として表されるのです。お父様の解釈というのは、神様は男性的主体であります。男性的主体はペニスを持っています。」と表現されたのであり原理本性論の根幹なのである。


このような究極圧倒的男性格主体である夜の神様が真の父母思想と創造原理によって創造されたのが被造物である形状的女性格対象が昼の神様なのである。


また國進様は聖霊について女性神が存在するのはなくみなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。」と言われたが、これは究極圧倒的男性格主体である夜の神様が形状的女性格対象に映し出されたその夜の神様の姿が聖霊である、ということなのである。 *拙稿:聖霊父母二性三位一体神論参照


以上の内容を簡潔にまとめる。


究極圧倒的男性主体である夜の神は、真の父母思想により父母二性性相の中和的主体思想により構成された原理を創造された。その原理に基づき、時空間とともに形状的女性格対象である昼の神を創造された。
被造世界が創造される前には、夜の神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、父母二性中和的主体である昼の神を創造せざるを得なかったのである。
昼の神は、父母二性性相の中和的主体思想である原理により創造されたのでその姿も父母二性性相の中和的主体として太初に現れた。
昼の神は、真の父母思想により太初に創造された被造物であるため、その他の森羅万象の被造物に対しては本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性である父なる神と本形状的女性である母なる神との二性性相の中和的主体である第二創造主である。
完全無形なる夜の神は第一創造主としてこの昼の神と三位一体であるので全ての被造世界には男性格主体として偏在され、形状的女性格対象に現れるとき聖霊として映し出されるのである。
その夜の神様の女性的性質は究極の対象的相対である女性に現れたのであり、夜の神様の真の父母思想による昼の神の創造の目的は、その昼の神が展開さる森羅万象の天地創造の最終的目的は圧倒的対象であり夜の神様の相対者である女性の創造と完成にあることを我々は知ることが出来るのである。
このような昼の神の絶対性卵子は女性に現れ、夜の神の絶対性精子は男性に現れる。
このように完成した男性と完成した女性の結婚、即ち夜の神様御自身の結婚とその子女繁殖を求めて夜の神の天地創造が始まったのである。


論文:ファンクラブ
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