2016年12月9日金曜日

原理本性論試論(問題点提議編)神は父母である、しかし天の父母ではない。

原理本性論試論(問題提議編) 

真のお父様は原理本体論の次に原理本性論が必要だと言われた。
原理本体論は弟子の劉先生にお教えになられた。
原理本性論については相続者であり真のカイン・アベルである亨進様・國進様にお教えになられ、今お二人が語ってくださっている新しい内容がその原理本性論であると考える。

従って亨進様・國進様お二人のマルスムから論を補強しながら原理本体論ではなく原理本性論における創造原理の神様について考察したい。

まず最初に原理講論及び原理本体論の問題点を提議し、原理本性論の必要性を提案する。

1.性相的男性格主体と二性性相の中和的主体の関係が曖昧である。

ここでは文誉進女史の論文、家庭連合や反統一教会の論を取り上げ原理講論や原理本体論の限界性を明確にし亨進様・國進様の言われる神学、原理本性論の必要性を提案していく。

1-1:神様を天の父母様と言ってはいけない理由が明確でない。

原理本体論の劉正玉講師は、神様を天の父母様ということは適切ではないと言われた。
真のお父様は、原理本体は絶対にお一人でなければならないと仰いました。
また、お父様が話された原理原本にも宇宙の創造は一つから全体へと記録しています。
数を数えるときも1から数えてるのであり、2から数えません。
したがって原理本体であられる神様は、絶対、唯一、不変、永遠の真の父である。
神様を天の父母様を言うことは、原理本体論で見たときに適切な表現ではない。

「原理本体論 神は絶対主体 男性」の画像検索結果2016年10月19日 劉正玉講師

ところが、原理本体論には神様を父母と呼ぶことを認めざるをえない記述が多くある。
<原理本体論(日本語)>
・根本を問い詰めるなら、神様は父だけでもなく、母だけでもありません。
神様は父の性稟と母の性稟をすべてもっている私たちの父母です。(P84)

・神様は万王の万であり、真の父母です。(p102)

・結論的には、神様は人間の父母であり、人間は神様の子女なので、(P134)

・もちろん「絶対性」の精子をもって真の父は、真の父母であられる神様の中にある真の父であり、「絶対卵子」の卵子をもった真の母は、真の父母であられる神様の中にある真の母です。(P232-P233) 

・本来、男性格主体なので、父と呼びますが、本体として見るときは真の父母です。(P234 )

・神様は無形の真の父母であり、心であり、実体の真の父母は体です。(P236)


これ以外にも「神様は父母である」「父母である神様」という表現が随所に出てくる。

このように原理本体論では「神様とは根本的に私達の父母であり、真の父母であり、人間の父母であり、本体は真の父母であり無形の真の父母である。」つまり「神様の本体・根本は無形なる真の父母である。」と定義する。

そうであるなら父母様と呼ぶことは何らの問題はないのではないか?
天とは霊界、無形を意味するのでこの定義で神様のことを「天の父母様」と呼ぶことは何ら支障もないということになりはしないか。
キリスト教の伝統である「天にまします我らの父よ」ではなく「天にまします我らの父母よ」と呼べば原理本体論で見たときにも適切な表現になるのではないか。

結論は夜の神様に対して天にという言葉をつけて父母様と呼ぶのは正しくないのだが、これだけ明確に原理本体論は「神様は父母である」と定義しているし、お父様も「天の父母様」と祈祷しておられるのも事実(*1)であるから原理本体論的に神様を「天の父母様」と「天」をつけて呼ぶことは適切でない理由を明確にしないといけない。

また劉正玉講師は天の父母という表現は二神論だ原理本体は絶対に一人でなければならいというが、家庭連合ではニ神論ではなく二性一神論を説く。
文誉進女史は、創造を開始していなかったとき、神は一人(唯一神)であるから神を単数形で天の父母(Heavenly Parent)と呼ぶべきであるという二性一神論を説いた。
この文誉進女史の論文の問題点指摘は拙稿

つまり文誉進女史は原理本体は、ニ神論ではない絶対に一人だという主張であり、そのお一人である方は父親という男性と母親という女性の二性中和体の一体であるという主張であり論点の違いは天の父母と呼ぶのが相応しいかどうかについてである。

劉正玉講師:神は一なる父母である。しかし天の父母と呼ぶのは間違いだ。
文誉進女史:神は一なる父母である。しかるに天の父母と呼ぶ。

このような論理展開の差がある。

この主張の違いは性相的な男性格主体という原理講論の記述に対する見解の違いから来る。
(原理講論)
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。

この原理講論の原理本体論の解釈は
「本来、男性格主体なので、父と呼びますが、本体として見るときは真の父母です。(本体論P234)」
と、神は男性格主体だから父と呼ぶと主張し、その本体は父母であるという。
しかし本体が父母(P234)であり、根本が父母(P84)であるなら父母と呼ぶことの方がより本体的であり、より根本的であると言う反論も可能である。

一方、文誉進女史はこの部分において、
男性と女性の二性性相であるにも関らず、神は男性格主体という驚くべき結論を導き出したのは家父長的キリスト教神学と儒教文化の影響であり、神の本質は父母二性格主体であり従って天の父母様であると主張し家庭連合はこれを賞賛した。
これは原理講論は主体だから男性という論は主体=男性という既成の固定概念に囚われ客観性を失っている。父親という男性と母親という女性の二性を一体でもっているのだから天の父そして天の母を合わせ天の父母と呼ぶべきだという論理である。
更には蕩減復帰時代は主体=男性だったが真の父母が勝利した今は女性の時代だから主体=女性であるという思想も見え隠れする。

このような絶対唯一神なる父母二性の神を「天の父母」であると呼ぶアプローチは原理講義・原理本体論からさらに本質に迫った原理本性論であると評価し、家庭連合ではこのような父母二性の唯一神、その神の絶対性精子・絶対性卵子を論ずる原理本体論は「天の父母様」論を支える神学として再評価する動きが始まっている。

更に家庭連合側は、神は唯一神にして男性、女性の二性であるから神はお一人でありながら男性性器と女性性器の二つを持っている。よって明らかに男性性器(絶対性精子)を持つ父であり、女性性器(絶対性卵子)を持つ母である唯一神を天の父母様、英語では単数形(Heavenly Parent)と呼ぶことは正しいとする。
つまり「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」論を唱える。

ところで原理本体論も本体である神様は男性と女性の二つの生殖器を持つ。絶対性精子と絶対性卵子を持つから父母なる唯一神であると言っており家庭連合の主張と極めて類似する。

原理本体論のその記述を見てみる。
男性と女性が実体として現れる前に、神様の中にあった陽性と陰性は、神様の二つの生殖器です。神様が二つの生殖器を持っていらっしゃるという話です。人間が分立されて現れる時、男性と女性の生殖器が別々に出てきたのです。
(省略)神様は二つの生殖器をもっていらっしゃいましたが、その生殖器は使うところがありませんでした。

原理本体論(日本語)83ページ
このように原理本体論も神様は男性と女性の二つの生殖器を持っており絶対性精子と絶対性卵子の本体であり父母であるという論理は同じである。しかし原理本性論的には天の父母様と呼ぶのは正しくない。

真のお父様も神様は男性と女性の、二つの生殖器を持つと言われた。

その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)

그 오목 볼록이 누구의 오목 볼록이에요? 하나님이 남성격이에요, 여성격이에요?「남성격입니다.」하나님이 남성격이면 생식기가 있겠어요, 없겠어요? (웃음) 앞에는 남자 생식기, 뒤에는 여자 생식기가 달려 있다고 생각해야 된다구요. 돌아서면 이것도 생식기고 돌아서면 이것도 생식기이니, 남자 여자로 갈라놨기 때문에 오목 볼록이 필요하더라! 알싸, 모를싸!「알싸!」
(「文鮮明先生御言選集」306巻より)

このように原理本体論も「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」であり、真のお父様も「一人で男女の二つの生殖器を持つ神=両性具有神」を言っておられる。
そして家庭連合も同じく「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」を言っている。

家庭連合はこのように神は「一人で男女二つの生殖器を持つ神=両性具有神」である。
男性生殖器を持つから天の父であり女性生殖器を持つから天の母である。
そして分立しない一なる神、唯一神であるから天の父母を単数形で呼ぶのは何ら問題ない
とする。

これに対し原理本体論は神様は絶対性卵子・真の母・女性生殖器を持つ父母であるが女性格主体では無く男性格主体なので父である。神を父とだけ呼ぶのではなく、母と呼ぼうというのは原理がわかっていない。根本を問い詰めるなら私たちの父母ですが神様は男性格主体なので「父」と呼ぶのです(本体論P84)という。
神様はこれだけ父母である、神様の本体根本は父母であると定義しながら、神様を父母と呼ぶのは原理では無い、主体=男性、対象=女性というのが秩序であり神は主体だから父と呼ぶという理由、説明であるが、神様は男性格主体だから父ではなく、なぜ神様は男性格主体であるのかを明確にした上で父であると説明しないと説得性に欠ける。

誉進女史はこの主体=男性という神学を、驚くべき結論と批判したが、これに対して原理講論・原理本体論・天聖教に主体=男性だと書いてあるからだ、それが秩序だからだ、だから神様の本体は父母であり父母であることが根本であるが父だという理由だけではなく、なぜ神は男性格主体なのかを明確にし論証しなければならない。

真のお父様のみ言に次のようなマルスムがある。
教会に入って初めて、神様のことを「お父さん、お母さん」と呼べるようになったのに、一、二回呼んだだけで、それきり呼ばない人たちがいます。どれほどやるせないことでしょうか。また、私たちは神様を口先だけで呼ぶのではなく、心の奥から呼べなければいけません。
皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。

「神様が惚れ込む者となれ」 第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道
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「母なる神様」映像御言葉集

神様の性相は、男性格である父なる神様と女性格である母なる神様から成っています。ですから神様から造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性の神様でもあります。

罪と蕩減復帰  第2章 罪、人間堕落の内的意味 
1)換父易祖(注:父が換わり、先祖が替わったこと)がすなわち堕落

真のお父様は『神様を「お母さん」「母なる神様」「真の父母様」と呼び、語りかけ神様に喜んでいただかなければなりません。』と言っておられるが、それにも関らず何故夜の神様を指して天の父母様と呼ぶことに大きな問題があるか、その理由を明確にしなければならない。そのためには天の父母様とは一体何かを明確にする必要性がある。


1-2:神様は両性具有神でなく男性であることを明確にしなければならない。

この天の父母呼称論以上に共通する大きな問題がある。
それは上述した、神様の姿は男性生殖器・女性生殖器の二つを持つ両性具有神とする原理本体論の神学についてである。
これはキリスト教界はおろか世間一般的にも非常に問題視する内容であろう。
キリスト教ではこのような両性具有神を忌み嫌ってきた。
真のお父様は「神様は前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついている」と言われたが、天のお父様はそのような姿の両性具有神なのだろうか?
我々はそのような前は男性生殖器、後ろは女性生殖の両性具有神を天のお父様と呼んで尊敬し賛美しているのだろうか?
悪魔バフォメットは両性具有神であるが天のお父様もそのような両性具有神なのだろうか?


以上のように大きく二つの問題点を上げ次の章「夜の神様は圧倒的究極的な父である」にて神の根本本質、夜の神様は「天の父」であることを明確にして行く。その内容を原理本性論の試論として提案したい。

(原理本性論試論(創造本性論編) つづく


以下もご参考ください。
原理本性論試論.創造本性論堕落論夜の神昼の神


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