1.み旨から見た天地人真の父母様御夫妻の格位とその関係
1)真の父母様の位相
真の父母様は人類の真の始祖であり、完成したアダムとエバ
天 の父母様は、永遠に喜びを享受するために人間を創造された。人類の始祖として創造されたアダムとエバは、天の父母様の絶対的な真の愛の対象である。人類は ただ一組の始祖から始まった。それゆえに、この一男一女以外に別な真の愛の筋をつくりになることはできない。もしアダムとエバが天の父母様の絶対愛を通し て完成し善なる子孫を繁殖していたら、創造主である天の父母様を縦的な無形の真の父母として侍り、完成したアダムとエバは地上の横的な実体真の父母となる 理想家庭が実現されたはずである。そのような真の家庭を根源として繁殖したアダムとエバの一族が、民族、世界へと増え広がり、「生育せよ、繁殖せよ、万物 を主管せよ」と言われた天の父母様の三大祝福が完成した世界が成されていくようになったはずである。その世界が、取りも直さず、天の父母様が地上に成し遂 げようとされた理想天国である。
堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に帰っていく復帰の目的は、アダム家 庭の復帰完成にあります。神様は、世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め一つの中心家庭を求めるのです。神様は、歴史を通し て、御自身の理想的な対象になり得る真の家庭を求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは、内容が根本的に異なります。 神様を中心とした理想的な真の家庭を探し求めることができなければ、理想的な国も世界も探し求められません。
本然の真の家庭を先に立てなけ ればならないという原則が、ここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなぐ真の家庭が救いの基本単位となります。堕落しなかったならば、アダム とエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。アダムとエバを真の父母として繁 栄した人類は、一つの大家族をつくり、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。(真の父母経 第一篇 第一章 第一節6)
再び来られ る主が、空中から雲に乗って来て、妄想のような霊的な国家を創造するというのが、神様の願いではありません。その方が再び来られるのは、この地を足場とし て、神様のありったけの愛を受けることができる一人の新婦を迎え、人間の先祖が六千年前に人類の真の先祖になれず、偽りの先祖となることによって失ってし まったものを、取り戻す役事をするためです。
それゆえ、神様の愛と一致し得る位置に立てる完全な男性と、神様の愛に通じ得る位置に立てる完 全な女性が、歴史時代に必ず現れなければなりません。今この時が、新郎として来られる主を迎える新婦として立つことのできる時です。ですから、この位置 は、エデンの園でアダムとエバが愛を受けた、それ以上の位置であり、アダムとエバを祝福してくださった、それ以上の位置です。
地上にそのよ うな基点が生じてこそ、サタンが侵犯できません。人間始祖アダムとエバが、そのような勝利の位置に立つようになったとすれば、天使長はサタンにならず、完 全なる僕の位置で人間に侍る立場に立ったでしょう。これが創造原則です。このような位置を失ってしまった人類は、孤児です。ですから、このような位置を取 り戻すことができる人類の真の父母が、この地上に現れなければなりません。(真の父母経 第一篇 第一章 第一節9)
真の父母は復帰摂理の完成者であり、再臨主・救世主・メシヤの使命完成者
真 の父母は、天の父母様の救いの摂理を展開する再臨役事の主人であり、人類を偽りの愛と悪なる血統から真の愛・真の生命・真の血統へと転換し宗教を一つに統 一する救世主メシヤの使命をもっている。真の父母は、堕落した人類に救いの手を差し伸べ、進むべき方向を提示するただ一つの中心的なモデルとして顕現なさ るのである。歴史は、ここから収拾され、結実し出発する。それゆえに、流れていった過去が復活するのも、分裂した世界が一つの世界に収拾されるのも、その 一つの世界が起源となって天国ができるのも、真の父母によるものである。
それゆえに、真の父母は復帰摂理の完成者となられる。真の父母は人 間の最高、最終の希望であるので、歴史的な願いは、真の父母が顕現した現実圏内において成就する。真の父母が現れたその時代が歴史完成の出発点である。ま た、天の父母様は、絶対愛によって精誠を尽くし御自身のすべての願いをかけて、独り子アダムと独り娘エバを創造されたが、彼らが堕落したので、彼らに代わ る存在として、まず独り子イエス様を送られた。即ち、本然のアダムに代わる後のアダムとして来られたイエス様は、本然の後のエバを迎え、失婦となることに よって、人類の善なる始祖である真の父母にならなければならなかった。
しかし、イエス様がイスラエル民族の不信によって十字架で亡くなるこ とにより、第3次アダムが再び来られ、準備された実体聖霊を新婦として迎え、人類を霊肉共に完全に重生させてくれる実体の真の父母とならなければならな い。原罪をもっている人類は、実体の真の父母様御夫妻を通して原罪を清算し霊肉共の完全な救いを可能にする重生、即ち、血統転換の恩寵を受けるようになる のである。
真の父母とは、完成したアダムとエバのことを言います。そのアダムとエバから家庭、氏族、民族、国家、 世界、地上天国と天上天国が連結され、神様まで解放されなければなりません。真の父母は、すべてのことを完成できる立場にいます。神様が地上に送られた最 も貴い方です。その真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で従っていけば、自動的にすべてのことを克服していけるのです。父母は、愛、生命、血統を相続さ せます。その愛、生命、血統を相続するのが、息子、娘です。すべての宗教の目的も、地上に真の父母の完成基盤を築くことです。
人類を救うこ とのできる唯一の方法は、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることなのです。偽りの父母がそれとは異なる愛、生命、血統を連結させて堕落した世界に なったので、地獄に落ちるようになりました。それを百八十度転換させるために、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を連結するのです。祝福を通 して神様の真の愛を連結し、真の生命を連結し、真の血統を連結するのです。野生のオリーブに真のオリーブを接ぎ木するのが、祝福です。(真の父母経 第一 篇 第一章 第一節15)
神様は、失ってしまったアダムとエバの代わりの存在を求めています。聖書では、イエス様を後のアダムと言いまし た。アダムを命の木と言っています。ですから、イエス様は、失ってしまった命の木の代わりとして来られた方です。しかし、イエス様は、使命を完結すること ができませんでした。神様と息子が喜ぶことができる一日をもつことができなかったので、再臨という言葉を残すようになったのです。神様がイエス様と共に喜 ぶことができる一時、六千年の恨の心情を取り除き、神様と、あるいは今後来られる主と息子、娘の関係を結ぶ日が来るのです。
神様の独り子、 イエス様がこの地上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼の前に独り娘も送られたでしょう。聖書に「わたしは なおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった」(伝道七・ 二八)とあります。神様の二千年の歴史は、新婦を求める歴史です。イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げ ることができませんでした。ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘を求める歴史です。聖霊は、神様の娘として来られました。神様を解怨するその日が、 「小羊の婚宴」の日です。(真の父母経 第一篇 第二章 第一節7)
真の父母は、天の父母様の実体 ― 天の父母様は縦的父母、真の父母は横的父母
天 の父母様の実体対象として創造された男性格代表がアダムであり、女性格代表がエバである。二性性相の中和的主体として自存しながらも、無形であられる天の 父母様が、太初に人間を一男一女として創造された目的は、実体世界に対するために必要な「体」をまとうためであった。アダムとエバの二人の「体」をまと い、実体世界と自由自在に行き来して、作用するためであったのである。「体」をまとわない無形の天の父母様では、有形実体世界に対するには限界があるから である。
したがって、アダムとエバが心の中に天の父母様をお迎えし、一体となって完成した土台の上に結婚し子女を生んで家庭を築けば、アダ ムとエバは外的で横的な真の父母となり、天の父母様は内的で縦的な真の父母となられる。創造本然の世界では、アダムとエバが完成し、真なる夫婦の愛によっ て完全一体となると、その上に天の父母様が臨在し、人類の真の父母となられる。無形である天の父母様の姿にそっくりな実体対象のアダムとエバが完成し、天 の父母様と一体になった真の父母となり、子女を繁殖することによって、理想家庭、理想世界を成すのである。
人類の始祖であるアダムとエバが 真の父母となり、地上での生涯を終えて完成した霊人体として霊界に入れば、そこでも天の父母様は、真の父母であるアダムとエバの形状で顕現されるようにな る。即ち、天の父母様は、完成したアダムとエバである真の父母に臨在し御夫妻の形状で永遠に存在されるようになる。それゆえに、堕落した罪悪世界を創造本 然の世界に蕩減復帰し、創造理想世界を完成された真の父母様は、地上と霊界で天の父母様の永遠なる形状となられるのである。
人 間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つ になってこそ、私が出てくるのです。言い換えれば、神様は縦的な真の父母、完成したアダムとエバは横的な真の父母となって、その二つの父母が一つになった 基台の上で私の心身統一が実現し、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ、何もできないというのです。天宙の 代表的家庭とは、堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上における代表であり、 地に降りてくれば、八段階の円形で垂直となる家庭です。垂直的な立場で、天上の代表と中心が一つになった位置だというのです。(真の父母経 第一篇 第一 章 第四節4)
神様は、見えない無形としていらっしゃいます。その無形の神様が有形の神様として顕現するためのものが、創造理想です。神様 は見えない世界の実体にもなりますが、また、見える世界の実体にもなりたいと思うのです。そのため、見える世界の実体を再び造っておいたのが人間なのです が、その人間の出発基地が真の父母だというのです。真の父母は、見える世界において象徴的中心存在であり、形象的中心存在であり、実体的中心存在です。そ れゆえ、この見える世界の真の父母の中心は、見えない世界の神様を代身した実体と一体になっているのです。
霊界も同じです。霊界にも象徴世 界があり、形象世界があり、実体世界があります。内容が見えないだけであって、見える世界と同じで、内外になっているというのです。すべての中心は一つで す。見える世界の中心も一つであり、見えない世界の中心も一つです。見えないこの実体の中心は、霊界に行って定着するためのものなのです。(真の父母経 第一篇 第一章 第四節13)
2)真の父母様の最終一体・救援摂理完結宣布
真の父母様は、 2010年天暦5月8日(陽6.19)午前2時20分と5月15日(陽6.26)午前3時25分に、アメリカのラスベガスで、天の父母様と縦的に一心・一 体・一念・一核・一和を成し御夫妻が横的に最終一体を成した基盤の上に、旧約・新約・成約時代の完成・完結・完了と全体・全般・全権・全能の時代を宣布さ れた。そして、2011年天暦11月17日(陽12.11)を期して、天正宮博物館で「天地のすべての存在が焦点を合わせ、創造主天の父母様が創造本然の 基準を探し立てられた中で、すべての摂理の完成完結完了と最終勝利を宣言する」と語られ、「すべてのことを成し遂げた」と宣布された。
ま た、真のお父様は、2012年に聖和(天暦7月17日、陽9.3)される21日前である天暦6月26日(陽8.13)、地上での生涯における最後の公式宣 布文を次のように残された。「きょう、最終的な完成、完結を成し遂げてお父様のみ前にお返しし今までの一生をお父様にお捧げすることを知っておりますの で、そのみ旨のままに、今は、精誠を捧げてすべての生を終了する時間を迎え、氏族的メシヤが国家を代表する名称となって、あらゆることを、すべで成し遂げ ました。すべて成し遂げました。アーヂュ」。
真のお父様は霊界におられるが、霊連世協会時代を迎え、お二人が一つとなって天の摂理を導いて おられる。もちろん、御夫妻は、聖婚式以降、真の父母様の名ですべての摂理を導いてこられたように、地上におられても霊界におられても、お二人が一心・一 体・一念・一核・一和となられ、地上と霊界の摂理を主管しておられるのである。
二〇一〇年、陰暦五月十五日、この 日付が重要です。この日、お父様とお母様が最後の宣言をしました。その時、韓国とそれ以外に対する方針をお父様とお母様が約束しました。間違いなくお母様 がお父様と一つになって進むことを約束した時間です。それを公布した時間が、二〇一〇年、陰暦五月十五日午前三時二十五分です。堕落した世界の終幕の戦い において、お母様がお父様と神様を中心として約束したのですが、それが二〇一〇年、陰暦五月十五日午前三時二十五分の出来事です。その時、「三時は初不得 三(精進すれば必ず成功するという意味)の三時代を代表し、旧約・新約・成約時代の完成、完結、完了の時代を迎え、真のお父様と真のお母様の最終一体圏が 完成、完了した全体、全般、全権、全能の時代を奉献、宣布する」と言いました。(真の父母経 第一篇 第二章 第五節31)
天地のすべての 存在が、二〇一一年十二月十一日、きょうこの時間に焦点を合わせています。真の父母がこの地上において、主人である創造主の本然の基準を完成、完結、完了 することによって、地と天、父と子女、家庭と世界が一体となって解放、釈放され、天宙の真の父母の勝利と創造理想世界の勝利の覇権を完成・完結・完了宣布 するこの日となりました。神様万歳!真の父母様万々歳!万宇宙の解放勝利の覇権の王子、真の神様と真の父母一体圏家庭の天国になるようにお許しくださった すべてのことを成し遂げました。すべての勝利の主権が決定されたものとして宣布いたします。天と地、天地父母が一体となり得る今朝、完成解放終了を宣布す るこの時間となったことを感謝いたします。アーヂュ!(真の父母経 第一篇 第二章 第五節32)
2.基元節以降における、天地人真の父母様の天一国憲法制定の意義と方向
1)天一国憲法制定の意義と、その必要性
真 のお父様は、1960年から憲法についてみ言を語られ、聖和されるまで、2,000回以上も言及された。特に、2001年の天一国宣布以後、天一国を統治 する憲法の必要性について強調され、憲法がいかに制定されるべきかについて詳しく説明された。天一国憲法は、天の父母様と真の父母様を中心とした内容でな ければならず、数多くのみ言の中で、核心の中の核心が入っている「家庭盟誓」がその基本精神であると語られた。真の父母様は、「家庭盟誓」が成約時代を越 え、天宙平和統一王国を築く絶対基準であり、憲法のようなものでもあると強調された。したがって、天一国憲法は、天の父母様の真の愛と真の父母様のみ言の 核心が要約されている「家庭盟誓」を最優先として制定された。
2000年の初めから、真の父母様のみ言によって憲法制定のための基礎作業が 進められた。2013年、基元節宣布直後に天一国が宣布されたゆえに天一国の憲法が制定されなければならないという真のお母様のみ言によって、制定作業が 本格化した。真の父母様のみ言は、天宙的勝利の報告であり、生涯路程はすべての人間が従っていくべき人生の典型である。これによって天一国憲法制定の原則 は、天一国理想の地上実現、真の父母様のみ言を中心とした制定、天一国国民の信仰定立とビジョンの提示など、9カ条に決まった。
真の父母様 は、憲法の必要性について様々な観点から語られた。第一に、神様王権即位式を行い、天が王権をもったので、法を中心として統治しなければならないこと。第 二に、天一国を宣布したことによって国権を立てる憲法を制定する時が来たこと。第三に、天一国の統治と定着のために新しい国家を中心とした理想実現は、法 を通して成就されるので、憲法が必要であるということである。
天の国を治める憲法を地上に作らなければなりませ ん。地上で完成できる解放的条件を設定しなければならないというのです。ですから、実体的体制を備えなければなりません。家庭的体制、氏族的体制、国家的 体制を、実体的な権限において保護できる法が出てこなければならないのです。神様のみ言を通して実体が出てくるのと同じです。み言が中心であり、法が中心 です。法を中心として、絶対に順応できる世界に越えていかなければなりません。地上世界と天上世界にサタンが残した歴史的なすべての法と実体を否定し、天 国に一元化しなければならないのです。(真の父母経 第十三篇 第二章 第四節12)
憲法であれば憲法を中心として、各部門に対する法があ ります。憲法を中心として、部門法がすべて連結されているのです。み言の骨子を中心として、今後、天の国の憲法ができます。建物の建築であれば、建築に関 する法があるのです。電気であれば電気、機械であれば機械に関する法があります。そうでなければ部門ができません。法があってこそ、そこに従って正誤を判 断することができ、国家の水準も、世界の水準も、最高の法的基準を中心として相対的比準に合ってこそ認定するのです。
今までは法を無視して 生きてきましたが、今や天のみ旨を中心とした法的時代に入ります。神様が創造理想的な法を立てたのですが、法のとおりにせずに堕落したので、これから本然 の時代に入れば、法絶対体制です。それは、個人の利益のためのものではありません。平和の利益のための法です。世界平和、天地を一つにできる平和の理想を 中心とした法であって、個々人の利益のための法は、今後存在しないのです。(真の父母経 第十三篇 第二章 第四節17)
2)天一国憲法制定の目的と方向
天 一国創建の摂理史を明らかにした憲法前文は、憲法の制定目標が何であるかを明らかにしている。天一国憲法は、天一国の全国民が真の父母様が生涯を通して見 せてくださった実体み言を成していくことができるように導く、法度・規範・指針として、天一国を定着・完成し得る、普遍的で実質的な生活体制・家庭体制・ 国家体制・世界体制を備えるために制定された。また、天一国憲法は、天の父母様と真の父母様に侍り、国境・人種・性別・文化・宗教など、すべての障壁を超 越する真の愛の心情文化を燦爛と花咲かせる中で、理想家庭を通じた心情文化世界定着を目標としている。
天一国憲法は、天一国国民の権利と義 務を規定しており、実体的天一国を定着させ、完成するための天一国の生活規範と天一国の運営に関する内容を含んでいる。真の父母様は、2001年に神様王 権即位式で血統と人権と公金、そして家庭の重要性を強調され、これが天一国憲法の基礎となると語られた。また、天一国憲法は、実体的天一国を定着させ、完 成させるための世界組織と体制を具体的に提示している。憲法上、最高議決機関である天一国最高委員会と運営組織として行政を担当する天政苑、立法を担当す る天議苑、司法を担当する天法苑、財政を担当する天財苑、民意収斂と報道及び広報を担当する天公苑の五苑を置いている。
み 言が今後、憲法になります。先生が勝手に語ったのではありません。神様の指示に従って語ったのです。私の思いのままに語ったものは、一言もありません。神 様は、先生にとって無慈悲なお方です。天法を永遠の法として立てるために、霊界にいるすべての人々が注目する中、先生が代表的な道を行くのに、一点一画で も許せる過程があるとすれば、そのようなことは指示しないというのです。十回実践するとしても、百回試験します。そのように、この道を来たというのです。 (真の父母経 第十三篇 第二章第四節6)
これからは法的管理に入るので、これまでの恩赦された時代とは違います。過ちを犯したアダムとエ バを直接処断したのと同じように、即決処分時代になるというのです。今、新たに入ってきた人々も、世の中の法をすべて知っているのですから、今設定され た、世の中の法より何百倍も厳格な天の国の憲法を守らなければならないことを知れば、今まで別の国に対して忠誠を尽くした自分の先祖たちを代表し、その何 百倍、何千倍、さらに忠誠を尽くさなければならないというのです。そのため、自分のすべての所有物や国、息子、娘までも、自分本意に管理できないというの です。アダムとエバが神様に管理されたのと同じように、神様の息子、娘に戻り、神様が直接管理する時代に入ることによって、自分勝手に計画したものをその まま進めていっては、その子女たちの行く道が塞がるようになります。そのような厳格な時代が来るというのです。(真の父母経 第十三篇 第二章 第四節 21)
今日まで、神様の救援摂理を治めてきた多くの法、旧約の法などがありましたが、救援摂理を越えた完成摂理時代において、神様のみ旨が 成就され、神様の目的が果たされた善なる世界で統治できる法がなかったというのです。今後、法が顕現する時代が来るでしょう。これは個々人が順応すべき法 であり、全家庭が順応すべき法であり、全国家が順応すべき法であり、全世界が順応すべき法です。この法は、地上でのみ順応すべきものではなく永遠なる天の 世界でもそのまま順応しなければならない法です。この法の統治を受け、この法に訓練された人は、霊界に行っても自動的に生活環境の保護を受けることができ ます。そのような法の時代が来るというのです。その法が設定される時が、善主権時代です。その世界は、次元の高い世界です。それは、私たちが平面的な世界 観で見る法ではなく立体的な面において見る法です。その世界まで私たちは行かなければならないのです。(真の父母経 第十三篇 第二章 第四節28)
皆 さんの先祖と一族の前に恥ずかしくない、堂々とした皆さんにならなければなりません。判事である神様から称賛され、愛される自らの姿にならなければなりま せん。耐え難きことを耐え、困難な位置を克服し、環境を収拾するために自分を犠牲にしたという事実などを、神様のみ前に証してもらうことができ、神様のみ 前に誇り得る何かを、何としてでも勝ち取らなければなりません。何としてでも勝ち取らなければならないのです。皆さんは宇宙において、どこにも行くことが できません。自分勝手にどこかに逃げていくことはできません。宇宙の法とその秩序圏内から抜け出せない人間だというのです。道に沿っていかなければならな いのです。中心思想と愛の秩序、人倫、家庭、社会、国家、世界、天宙、神様、全体に通じる、公式的な憲法基準を中心とした、宇宙法の統治下に生きている自 分であることを知らなければなりません。自然をはじめとするすべての法が支持し、擁護し、解放圏を手にできる道は、愛し、ために生きる道しかないのです。 (真の父母経 第十三篇 第二章 第四節31)
これから皆さんが守るべき鉄則があります。第一に、死ぬようなことがあっても、血統を汚して はいけないということです。第二に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはいけないということです。男性も女性も、黒人も白人も平等です。人権を差別し、人権 を蹂躙してはいけないというのです。自分と気が合わないからといって自分勝手に人事措置をしてはいけません。そのようにいい加減にすることはできません。 自分よりも善なる先祖をもつ人たちはいくらでもいます。何代もせずに大統領になる人が出てくる人を粗末に人事措置すれば、自分の先祖がすべて音を立てて崩 れるのです。人権を正しく指導するには、「ために生きる」真の愛でしな.ければなりません。そのように生きる人が主流です。神様の天地創造がそこから始ま りました。その主流思想をばらばらにしてしまうのは、赦すことができません。これが罪の中の二番目の罪です。三番目は、公金を盗んではならないということ です。公金を思いのままに使ってはいけないというのです。この三つです。(真の父母経 第十三篇 第二章 第四節35)
3.基元節以降における、天地人真の父母様の天一国経典編纂摂理
1)天一国経典編纂の背景
真 の父母様は人類救援と世界平和のために一生を捧げられた。そのすべての足跡はみ言に余すところなく記されている。それゆえに、そのみ言を整理して後代に残 し真の父母様の願いを果たして差し上げることは、我々すべての責任と任務である。真のお父様の聖和の後に、真のお母様が最も心血を傾けたことも、食口がみ な一つになって、真のお父様が残してくださった伝統と遺業を相続することであった。その最初の結実が、天一国経典である『天聖経』増補版と『平和経』の奉 呈であった。そして、天一国経典の中で最後に2015年の基元節に『真の父母経』を発刊するに至った。真のお母様は、これを後代にとって道となり指針とな る教材教本にしようとされたのである。真のお父様と50年以上共に過ごされながら、誰よりもみ言に対する愛着と権威を持っておられる方が真のお母様であら れる。
天一国三大経典は、天一国の民として携えるべきみ言を主題別に集めた天一国経典『天聖経』、真の父母様の生涯路程と業績を盛り込んだ 『真の父母経』、そして真の父母様が人類を愛し世界平和を成すために地球村の各地で宣布された講演文を集めた『平和経』のことを言う。特に、天一国経典 『天聖経』増補版の場合、既存の『天聖経』が抱えていた重複の問題点を補完し、2000年以後の新たな内容を追加して再編集した。既存の『天聖経』は、日 本食口の教育用として早急につくった単行本を集めて編集したため、かなり多くの誤謬が発見された。内容の重複はもちろんのこと、外国語で出版された本を再 翻訳し、単行本としてつくる過程で文章が原文と異なってしまう部分が多々あった。そこで、真のお母様が苦心して決断されたのが、天一国経典『天聖経』増補 版の編纂であった。
結局、天一国三大経典は、真の父母様が残されたみ言の中で核心となるすべての部分を選び抜いて整理したので、既存の『天 聖経』から削除された内容も、すべて3冊の中に入っている。もちろん真のお父様も『天聖経』の価値を認めながらも、新たな『天聖経』の出刊の必要性を数度 にわたって語られた。このように、天上の真のお父様と一心・一体・一念・一核・一和の境地から摂理を経綸される真のお母様は、天一国経典の編纂を通じて、 天の父母様と真の父母様の伝統を確立するための環境造成にこの上ない精誠を尽くされた。
先生はもう教えることがあ りません。『天聖経』の2、3までこれからいくらでも出る可能性があるのです。そして知っておくべきことは何でしょうか。今年10月14日です。先生の自 叙伝が世界化へと越えていく記念日として守るようになっています。その時までは先生の自叙伝が194カ国に教材として出版されていなければなりません。翻 訳をするのに日本は日本なり、アメリカはアメリカなりに自分たちの好き勝手にするのではないのです。今、先生が修正したものを基本とした翻訳でなくてはな らないのであって自分たちが作り直した翻訳ではいけないのです。そこによく気を付けなければならないのであって、下手をすると今後大きな争いが起ります。 アベルUN圏を中心として大きな争いが起こるのです。どこの側を中心として、原則的な先生の自叙伝なのかというのです。韓国です。韓国版から外れてはいけ ません。(611-128、2009.5.8)
先生が語ったことを整理していかなければなりません。ですから、『天聖経』を中心とするもの をつくりました。今まで出版した先生の説教集480巻の中からまとめたのです。その3倍が、まだ発表されていません。『天聖経』の2巻、あるいは3巻にな り得るものが待っています。(599-84,2008.9.25)
出版された先生の本は1200巻ではなく1500巻を超えるでしょう。出 版してすべて整理しなければなりませんが、まだ出版できていません。『天聖経』は、400巻までの内容をまとめたものです。このようなものが、さらに数巻 出てきます。そのような内容を学ぼうとすれば、数十年たっても世の中で評価することはできません。いくら大学の教授だとしても、結論を下すことができない のです。(593-206、2008.6.16)
霊界へ行く時にはその準備をして、『天聖経』を完全に整理して、間違った内容がないようにして、知識者から科学者でも誰でも読むようになれば……。霊界では誰も知っている人がいないのです。(467-172、2004.9.4)
今 日『天聖経』についての内容ですが……。私がここで直すことがたくさんあります。「何ページ、何ページをすぐに直すでしょう」という声が聞こえてきます。 私は遊ぶ人ではありません。遊びは遊びですが、本当の遊びをしています。偽者ではありません。いい加減ではありません。確かです。(610-278、 2009.4.27)
2)天一国経典編纂の摂理的意味
真のお母様は、2012年11月29 日、「真の父母様のみ言やすべての行跡は宝石である。私はその宝石を最高に価値あるものにする」と語られ、天一国経典編纂事業を指示された。そして、 2013年6月10日の天一国経典『天聖経』増補版と『平和経』出版記念式において、「このみ言が乱れず、美しい宝石となり、一筋に繋がっていると思う と、とてもうれしい」と語られた。天一国経典の編纂には、大きく三つの意味がある。第一に、蕩減復帰摂理路程を歩まれた真の父母様のみ言と生涯を永遠なる 歴史的遺産として伝承することであり、第二に、天一国のビジョンと国民の生活の指針が立てられるということである。最後に、訓読を通じた人格化が成され、 その地平が世界と天宙まで拡大されることを意味する。
お父様のみ言を整理、整頓することが急がれています。多くの み言がありますが、それが整理できていないままになっています。多くの書籍がそうです。二千年のキリスト教の歴史を見ても、聖書一冊でこのように全世界に イエス様のみ旨を広げてきたのですが、お父様のみ言が整理、整頓されなければ、未来に混沌が訪れるでしょう。後代の人が見ても批判できない原理原則によっ て、根も一つであり、幹も一つであり、実も一つである永遠のみ言として残さなければなりません。み言が、すべての人々の一日一日を生きていく上での生活基 準になり、標柱になり、生活指針にならなければならないのに、それが整理整頓されていません。ですから、とてももどかしかったのです。
例え ば、原石があるとしましょう。いくら貴い原石であっても、磨いて光るようにしなければなりません。お父様のみ言は、一言で言うと、原石は原石なのですが、 精製されていない原石のようなものです。私までそのままにしておけば、誰がこれを磨きますか。皆さんはもちろん、誰にもできません。私がしようとすること は天を栄えさせることであり、み言が永久に保存されることを願ってするのです。後代にいくら有能な人が現れたとしても、このみ言には手を付けられないよう にするためです。それは、私にしかできません。(真の父母経 第十三篇 第二章 第三節1)
お父様の業績は、堕落した人類の前に宝石のよう な真理の「真のみ言」を下さったことです。このみ言が散り散りにならないで美しい宝石になり、天一国経典『天聖経』という本の中に一列につながれているこ とを思うとき、あまりにもうれしく感謝です。今私たちが、天一国時代に拍車を加えるべき立場において、このみ言こそが天一国の実質的な中心になります。結 実であり、柱です。このみ言と一つになって、皆さんが与えられた立場で責任と使命を果たしていくならば、天はどれほど喜ばれるでしょうか。
私 たちには、今なお天が願われるみ旨の前に果たすべき責任が残っています。全世界人類を一日も早く天一国の民として導いてあげるべき責任が、私たちにありま す。先に来た者として、皆さんには責任があります。天一国の孝子、忠臣の位置、主人の位置にみな立つことができます。しかし、皆さんが現実で怠っていれ ば、天は待ってくださいません。皆さんがどのように実践躬行すべきかを再度決意し、天一国経典『天聖経』『平和経』の出版記念式を期して、天が私たちに下 さった宝石のようなこのみ言を中心として、全人類の救援に総力を尽くしてくれることを願います。(真の父母経 第十三篇 第二章 第三節5)
皆 さんが生きている間に、一人でも多くの人に真の父母様を教えてあげなければなりません。私たちが生きている理由は、天地人真の父母様を教えてあげるためで す。それを忘れてはいけません。それがなければ皆さんの生命もないのです。それを思うと、私は一日が千年のようです。お父様の歴史的な全生涯を中心とし て、後代のために残すことが重要です。私は、お父様のみ言を天一国経典『天聖経』として整理し、皆さんが毎日持ち歩くようにしたいと思っています。キリス ト教徒たちが聖書を毎日持ち歩くように、私は、お父様のみ言である天一国経典『天聖経』・『真の父母経』・『平和経』を、皆さんの懐から離さない本にした いと思いました。この本を通して多くの生命を救うことができるので、これは道具です。どれほど貴い道具か分かりません。人類を生かすみ言が出てきたのです が、それを生命を生かす道具として活用しなければなりません。(真の父母経 第十三篇 第二章 第三節7)
4.基元節以降における、「家庭盟誓』変化の意義と価値
1)『家庭盟誓』制定の背景とその意義
真の父母様は、1962年10月28日(陰暦10月1日)、第3回「子女の日」に、総5節から構成された『私の誓い』を制定され、全食口の信仰の指針として、また人生の標準として定めてくださった。『私の誓い』は、1954年から1994年まで続いた「世界基督教統一神霊協会」時代と、その脈を共にしながら、約32年間、統一教会の核心的信条として使用された。その後、1994年、「世界平和統一家庭連合」時代の幕開けとともに、『家庭盟誓』を新たに制定してくださった。
『私の誓い』は、個々人が個別に誓いの実体となることを決意する内容である反面、『家庭盟誓』は、家庭全体が心を一つに合わせ、誓いの実体として生まれ変わることを決意する内容である。本然の創造理想世界を安着させ、拡張していくことができるよう、宇宙の根本単位である家庭が創造理想家庭を完成させることを決意するものであり、これは根本的に天一国の実体化を目指すものである。
「家庭盟誓」は、一九九四年五月一日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに天が人類に下さった、祝福の中の祝福です。旧約時代と新約時代を完成、完結する成約時代を宣布し、先天時代の暗闇を貫き、明るい後天時代の新天新地、すなわち天宙平和統一王国天地開闢の時代を開いていく道案内として下さった里程標です。(天一国経典 天聖経 第十二篇 第三章 第五節1)
一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を創設して以来、四十年の長い蕩減路程を真の父母が直接闘って勝利し、越えられた基台の上で、これからは個人的な次元の「私の誓い」ではなく天国入城の基本単位になる真の家庭が共に唱え、実践すべき「家庭盟誓」です。涙なくしては唱えられない、天と真の父母様の恨が込められた誓いです。堕落した宗教の仮面を脱ぎ、解放の場で千年、万年、唱えることのできる人類の表題です。家庭は、天国に入城する基本単位になるからです。(天一国経典 天聖経 第十二篇 第三章 第五節2)
「家庭盟誓」は、個人的盟誓とは異なります。私たちが誓う盟誓は、「個人盟誓」ではなく「家庭盟誓」です。家庭が公式であり、根本です。ですから、家庭を代表して誓いをするのです。お父さんも全体家庭を代表し、お母さんも全体家庭を代表し、息子、娘も全体家庭を代表して誓うのです。第一に、心と体が一つにならなければならず、第二に、夫婦が一つにならなければなりません。第三に、子女が一つにならなければなりません。エデンにおいて、神様を失ってしまいました。アダムとエバを中心として、個人を失い、家庭を失い、子女を失ってしまいました。これを復帰しなければなりません。ですから、「家庭盟誓」は、心と体が一つになってこそ誓うことができるのです。夫婦が一つとなり、子女が一つとなってこそ誓うことができるのです。(真の父母経第十二篇第一章第三節3)
家庭盟誓は、天地の憲法です。皆さんが、盟誓文の一つだけでも完成したなら、天国の国民になることができます。そのような価値を知らないので、盲人が八陽経を覚えるように、そのまま覚えるのだというのです。皆さんが誓いをしたなら、誓った通りに生きなければならないのに、出来ていません。外側だけ出来ているというのです。人の姿ですが、中身のない人となってしまったので、中身を埋めなければなりません。ですから、本然の理想的直接主管圏の中に入ったので、家庭盟誓文は、法を立てて整理するための表題です。(388―076、2002.07.30)
2)『家庭盟誓』の変遷
真の父母様は、2002年、第43回「真の子女の日」のみ言を通して、『家庭盟誓』が「天一国盟誓文」にならなければならないことを強調され、「天一国主人」という語句を『家庭盟誓』の各節の前に挿入して使うことを指示された。また、1994年、『家庭盟誓』が初めて公表された時は、7節から構成されていたが、1998年2月3日、真の父母様が最後に第8節を追加された。1998年11月20日には第7節に「為に生きる生活を通して」を挿入し「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」と改正された。2004年、第44回「真の父母の日」の記念日に、『家庭盟誓』第2節の「聖子の道理」に「家庭」を挿入して、「聖子の家庭の道理」に変更され、第8節に「釈放圏」を挿入して、「解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」と改正された。そして2013年天暦1月13日、基元節を起点として、第2節、第4節、第6節の「神様」を「天の父母様」に、第8節の「成約時代」を「天一国時代」に改正された。
このように、『家庭盟誓』は、総5回にわたって修正、補完されてきたが、これは慌ただしく進められた天の摂理の進展と発展によってその脈を共にしてきた結果である。このような変化は、我々に二つの示唆点を提示している。第一に、摂理的文脈の変化によって『家庭盟誓』の修正が5回にわたって行われた点を見ると、『家庭盟誓』は時代と共に呼吸し調律していく生命力をもっているという点、第二に、このような『家庭盟誓』の修正、補完は誰もが可能なわけではなく、唯一真の父母様のみ言を通してのみ可能であるという点である。『家庭盟誓』は、実に真の父母様の生涯とみ言の集約であり、その結実体であり、真の父母様の公式的な生涯路程にしたがって実を結ぶ摂理の勝利的段階において、新たに宣布され得るのであり、これは唯一、実体み言であられる真の父母様を通してのみ可能なのである。
特に基元節後に、真のお母様が「神様」を「天の父母様」に、「成約時代」を「天一国時代」に変えられたことは、変化した摂理を反映したものである。つまり、父と呼ばれてきた「神様」を、摂理の進展によって「父母なる神様」、「神様、父母様」という位相に合う「天の父母様」に変えられたのであり、これからは、旧約時代、新約時代、成約時代と続く摂理ではなく「天一国時代」に入ったことを強調したのである。したがって、『家庭盟誓』第8節の「成約時代」が「天一国時代」に変わったのは、基元節を通して確立された本然の世界、即ち、堕落と関係ない天地人真の父母様の子女たちが「天の父母様のもとの一家庭」の理想を実現し、具体化していく第4次イスラエル時代の実質的進入による結果である。「天一国時代」という言葉は、旧約時代、新約時代、成約時代、即ち、第一、第二第三イスラエル時代の勝利圏を包括し全体復帰摂理の脈絡をそのまま維持するだけでなぐその内容を一段階上に昇華させ,本然の創造理想世界に連結させる時代的区分だと言える。
旧約時代、新約時代、成約時代、今は天一国時代です。天一国は、二人以上が一つになった国が一つになった国が天一国ではないですか。ですから、理論的にも合っており、そのため、誰もがそれを遠い国の夢ではなく実際的な事実として歴史がそのように流れてさたことを、私たちの摂理史観を知ったときに、否定できないというのです。(466-021.2004.08.23)
「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法と同じです。万人が認め、尊敬する真のモデル家庭であってこそ、世界を率いていく指導者的家庭の位置に立つようになるという意味です。このように家庭は、天の最大、最高の祝福であり、驚くべき現実です。天一国を創建する礎石になるのです。真の家庭を築くことが、天一国の市民権を獲得する近道になるということです。(天一国経典 天聖経 第十二篇 第三章 第五節8)
世界基督教統一神霊協会創立四十年を越えるとともに、「世界平和統一家庭連合」に変更し、それを完成するための絶対的規約であり、憲法のような「家庭盟誓」を制定しました。「家庭盟誓」という言葉は、歴史にありません。天国に向かい、天国を完成する「家庭盟誓」です。これを見れば、蕩減復帰の内容を中心として、完全に解放され得る内容になっています。ですから、これを唱える人は、堕落した世界の家庭圏内ではなく完成した家庭圏内に入り、真の愛を中心として、家庭圏が形成されるので、偽りの愛で分立されていた心身の統一が起こるというのです。(真の父母経 第十二篇 第一章 第三節7)
皆さんは、「家庭盟誓」がどれほど途方もないものかということを知らなければなりません。「家庭盟誓」は、どれ一つとして取り除くものがないのです。八節で、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を強調しています。三大絶対条件の上に、性の完成が成就されなければなりません。真の父母の時代になって、性の完成を発表できるのです。人間が十六歲で堕落することによって、神様の創造本然の性がなくなりました。『平和神経』は、天の国の家庭と天の国を完成するための、憲法の草案です。ここに外れる憲法はあり得ません。「家庭盟誓」は『平和神経』の骨子です。天上世界や地上世界において完成した人々の「家庭盟誓」です。(真の父母経 第十二篇 第一章 第三節11)
5.基元節以降における、天地人真の父母様が執り行われる祝福式の理解
1)祝福は真の父母様の特権
天 の父母様は、堕落した人類を救うためにメシヤを送られ、そのメシヤの接ぎ木を通して救われると聖書は教えている。結局、サタンによって汚された血統を、天 の父母様を中心とした血統に転換することが最大の目標であった。したがって、天の父母様は偽りの愛・生命・血統を清算し天の父母様の真の愛と真の生命と真 の血統によって実現した世界を完成するために、復帰摂理を経て、ようやく真の父母様御夫妻を顕現させた。そして、人類歴史上初めて善の血統をもった真の父 母の祝福を通して、堕落した人類に天の父母様の真の愛を接ぎ木することにより、偽りの愛による偽りの生命と偽りの血統を清算し真の愛による真の生命と真の 血統に転換させ、天の父母様の真の子女として重生できるようになった。祝福結婚は真の父母様の特権である。
祝福と は血統を正すことです。血統転換です。悪魔の父母から悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血統を受け継いできたので、それを断絶し、接ぎ木しなければなりませ ん。これから父母様がすべきことは血統転換です。血統を正さなければなりません。サタン世界のオリーブの木を天の世界の真のオリーブの木に換えなければな りません。(231-095,1992.05.31)
皆さんを祝福するのは、父母様の特権です。父母様の特権を通じて祝福を受けるのです。 この祝福は予約的祝福です。これを実現するためには、内的基準を完成させなければなりません。そうして、内外の家庭としてその立場を代身するのです。即 ち、アベル的家庭である父母様の家庭の前に、皆さんの家庭がカイン的家庭の立場に立つ道しかありません。そうすれば、皆さんの家庭はその基準になっていま せんが、父母様の家庭を中心としてその基準になれるのです。そのためには、皆さんの家庭を中心として、父母様の家庭の代わりに息子の家庭の立場でカイン的 家庭を探し立てなければなりません。
その家庭を立てるために、皆さんが氏族復帰をしなければならないのです。それで「氏族的メシヤになりな さい」と言うのです。皆さんが氏族を復帰することによって、皆さんの家庭はカイン的家庭の先祖になり、さらに長孫(長子の長子:跡継ぎ)的な家庭になり、 父母様の家庭はアベル的家庭になるのです。ですから、家庭的三位基台を復帰して、先生の家庭が中心になって四位基台を造成しなければなりません。これは公 式です。天国は、信仰の三子女を立て、自分の家庭と完全に一つになり、父母様の家庭に侍って行かなければなりません。それが天国に入る方法です。(真の父 母経 第四篇 第三章 第三節18)
サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分が しなければなりません。そこに一体になって従順に従わなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません。それは、死ぬか生き るかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を 手探りしていかなければならないのです。(天一国経典 天聖経 第五篇 第二章 第三節10)
皆さんの家庭の中心は、真の父母です。エデン の園で真の父母と共に暮らす家庭をつくることができませんでした。皆さんがそれを復帰しなければなりません。そのようにしようとすれば、父母様の命令に絶 対的に従わなければなりません。父母様の前では、皆さんの意見はあり得ません。皆さんに個人的な概念がなくなることによって、初めて真の父母の名が皆さん の家庭に定着し始めるのです。そうでなければ、理想的な家庭を復帰することができません。これは先生の考えではなく本然的な神様の創造の概念です。(天一 国経典 天聖経 第五篇 第三章 第五節1)
2)祝福式と聖婚問答の意味
天地人真の父母様を 通して、天の父母様の真の愛を受け継いだ真の子女として重生すると同時に、天の父母様が臨在し得る真の家庭としての第一歩を踏み出す、神聖な祝福の場で祝 福を受ける者は、祝福の主人であられる天地人真の父母様の願いに誠心誠意を尽くして答える聖婚問答の儀式を行い、天の父母様と天地人真の父母様の前に真な る子女の姿を備え、真の家庭の主人となることを誓う。
祝福の重要な儀式の中の一つである聖婚問答は、天一国基元節以前までは四項目から構成 されており、天地人真の父母様が直接、祝福を受ける者たちに、永遠なる夫婦の関係を守り、子女たちをみ旨にかなうように養育し正しい指導者として育て、祝 福家庭の伝統を受け継ぎ、天国の基礎を成す理想家庭を築くことを問い、祝福を受ける者たちは直接み言に応答し天の父母様と天地人真の父母様に約束すること が主な内容であった。
聖婚問答
あなたがたは神様の創造理想を完成する成熟した善男善女として、永遠なる夫婦の因縁を結ぶことを神様と真の父母様の前に約束しますか。
あなたがたは真の夫婦となり、今後子女たちをみ旨にかなうように養育し統一家全体と人類と神様の前に必要とされる指導者を養成することを約束しますか。
あなたがたは真の父母様を中心として統一家の伝統を受け継ぎ、後代の統一家の後孫たちと人類の前に誇り得る伝統を伝授することを約束しますか。
あなたがたは創造理想を中心として神様と真の父母様のみ旨を受け継ぎ神様の四大心情圏と三代王権的伝統を確立し、神様と真の父母様とともに世界の人々を愛し、地上天国建設と天上天国建設の基本となる理想的家庭を形成することを約束しますか。
こ のような聖婚問答は、天一国基元節以降の天一国時代に合う内容に新たに変えられ、同じように天地人真の父母様が直接、祝福を通して、天一国の民となる者た ちに永遠なる夫婦の関係を守り、天地人真の父母様が立てられた伝統を受け継ぎ、後代に伝え、天一国の根幹を成す理想家庭を築くことを問い、祝福を受ける者 たちは直接み言に応答し、天の父母様と天地人真の父母様に約束することが主な内容である。
聖婚問答
あなたがたは、天の父母様の創造理想を完成する善男善女として永遠なる夫婦の因縁を結び、天地人真の父母様が立てられた伝統を受け継ぎ、天一国が目指す理想家庭を完成することを約束しますか。
天 一国基元節以後の聖婚問答は、以前の聖婚問答に記されている祝福家庭の理想と価値をそのまま含めると同時に、「天の父母様」と「天地人真の父母様」、そし て「天一国」の価値を含め、天一国時代に合うよう新しくなった。これは、唯一祝福を主管し得る天地人真の父母様を通して成された天一国時代の摂理の経綸と 言える。今や天一国時代の祝福式に参加し神聖なる天一国の民としての自意識をもつことになる善男善女たちは、天地人真の父母様を通して新しくなった聖婚問 答を行い、天の父母様の創造理想を内化し、天地人真の父母様が立てられた伝統を受け継ぎ、理想家庭を成し天一国の実現に先立つという敬虔で、かつ決意に満 ちた誓いを天の父母様と天地人真の父母様に約束するのである。
皆さんが祝福を受ける最後の目的は、どこにあるので しょうか。真の家庭を取り戻そうということです。これが堕落した人間が探し求めてきた最高の目的です。この真の家庭を形成するためには、真の人が現れなけ ればなりません。真の人の中でも真の男性が先に出てこなければなりません。そして、その真の男性が真の女性を探し立て、神様を中心として聖婚式をすること によって、初めて真の家庭が出現するようになります。人間が堕落することによって、このような起源をもつことができなかったので、私たちは今までのすべて の家庭を否定し、新しく神様の摂理のみ旨に従って、このような家庭の基準を踏み越えていかなければなりません。もし、その基準を越えていくことができなけ れば、堕落した人間は本然の世界に戻ることができない、というのが原理的な見解です。堕落した人間は、誰でもこの公式的な条件を経ていかなければ、神様の み前に立つことができないのです。(天一国経典 天聖経 第五篇 第二章 第三節4)
神様が許諾した真の自由は、責任性を前提とします。も し、責任性なしに個々人が愛の自由ばかりを主張して実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成し遂げるべき人間の完 成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。その責任性は、次の三つとして考えることができます。
第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく神様との生命的縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。
第 二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の間の縦的な 愛の関係と異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人は 絶対に自分の相対のために生きなければならない愛の責任性があります。
第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地 は、父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合し一体となった父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する 最も貴い責任は、外的な養育だけではなく彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活の経験 を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外、そのどこからも得ることはできないのです。(天一国経典 天聖経 第五篇 第二章 第五節4)
6.基元節以降における、天の父母様宣布の意義と価値
1)天の父母様宣布の背景
神 様に対する名称は、宗教や地域、時代によって異なる。例えば、旧約時代のユダヤ人は神様の名を呼ぶのを恐れ「ヤハウェ」とした。新約時代にイエス様は、神 様を「ヤハウェ」でなく「父」と呼んだ。しかし「父」と呼んだことで、イエス様は、ユダヤ人から石で打たれながら追い出されることもあった。真の父母様の 時代を迎え、神様は初めて「父」ではなく「父母」の座に就かれるようになる。『原理講論』によれば、神様は「本性相と本形状の二性性相の中和的主体である と同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う」と説明されてい る。ここで神様に関する重要な説明は、「父の性稟と母の性稟を共に備えている中和的主体」である。それは、神様は父でもあり、母でもあるという意味であ る。神様は父なる神であると同時に母なる神であられる。神様は父母なる神様であられる。神様は両性を有する父母なる神様であられる。ゆえに真のお父様も 「天の父母」という名称を幾度となく言及された。
父母様が行く道は、そのまま平坦に行くのではありません。いくつ もの谷間を埋め、越えてつくりあげてきました。ですから、神様が私の父母だというのです。千年の恨、万年の恨を抱き、天の父母と地上の父母の恨を合わせて 責任を果たさなければならないイエス様の使徒、キリスト教の信者たちの中に、そのような心情をもって、天と地上の父母を解放しようという心をもった人がい ません。彼らは、信じて福を受けようとしています。それは、霊界ですべて引っ掛かります。神様は、滝のように涙を流しています。その神様を解放することが 父母様の使命です。(真の父母経 第一篇 第一章 第三節20)
父母様がいるので、毎日のように相談できますが、父母様がいなくなればどう するのでしょうか。あなたたちも父母様が神様に侍っていたように侍る生活をしないといけません。父母様が行かれれば、天の父母と地の父母の二つの父母に侍 らなければなりません。陽の世界の孝子、陽の世界の忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を完結しなければならない重要な責任が、真の父母の直系の血統を受けた王 子王女にあるのです。今日ここに集まった代表家庭の先覚者の立場に選ばれた私たちになるのです。王宮にまだ入ることができません。これから天の国の王宮に 入らなければなりません。その生活を受け継いでいかなければならないのです。宗教も、国も、戦いもありませんでした。陰がいつも地上にあるのです。陰まで も天と一致しているので、サタンがこの陰を消すことはできません。他の血統がこれを切り離すことができないのです。ですから、真なる家庭の血統を通して、 統一王国の解放・釈放の本然の世界から宗教を超え、政治を超えて、本性の道理の地上天上世界に行かなければならないという新たな決心をしていってくださ い。(604-204、2008.12.24)
神様は天地人父母の立場であり、人は体をもつ神様の息子であり、無形の天の父母、有形の実体 父母の二つの父母の間に立つための人なのです。人は二重構造になっていることを知らなければなりません。これは体を中心として無形と有形と息子の3代を経 て超えていかねばならないのです。(465-206.2004.08.21)
絶対主体である天の父母の前に、また地上の対象の立場である真の父母の前に、皆さんもそのような伝統を天と地の前に共に受け、天からもはずれず、真の父母様のみ旨からもはずれない家庭理想を完成した立場で手を上げてください。(393-122, 2002.10.03)
2)天の父母様の実体となられた真の父母様
2013 年1月13日、天一国基元節は、天地人真の父母様が天の父母様の代表的な実体の体となられた日である。真のお父様の一生の願いは、ここにあったと言っても 過言ではない。真の父母様であり、天地人真の父母様であり、天の父母様の代表的な実体の体になられた日だからである。
真の父母様が天の父母 様の代表的な実体の体になられるには、天の父母様のみを代表してはならない。人間と自然万物の代表的な父母の姿でなければならない。天の父母様は天宙父母 様であり、自然万物を代表した地の父母様が天地父母様であられる。人間を代表した父母が真の父母様である。したがって、天地人真の父母様は天の父母様、自 然万物、人間を代表した父母様として、天の父母様を代表して実体として顕現された父母様であられる。天地人真の父母様が天の父母様の代表的な実体の体にな られたということは、天の父母様の直接主管の時代になったことを意味する。即ち、天一国時代である。天の父母様が直接統治される時代となったからである。
そ れゆえに、真のお母様は2013年1月7日、韓国の中心幹部が参席する中、「神様、お父様」と呼んでいた呼称を「天の父母様」に変えるように言われた。今 まで我々は、原理的な観点から神様を陽性と陰性の本性相的・本形状的主体、中和的主体として「神様、お父様」と呼んでいた。しかしこれからは成約、完成完 結完了の天一国時代に入るので、「神様、お父様」が「父母なる神様」になられた。このように真のお母様が宣布された「天の父母様(Heavenly Parent)」の名称は、摂理的変化による意味をもつと言える。真のお母様は、「私たちが今まで呼んできた『神様、お父様』という断片的な意味から、 『神様、お母様』という母性を生かして、これからは父母であられる神様、『Heavenly Parent』、『天の父母様』と呼んで、私たちは祈祷を始めなければならない」と語られた。かと言って「神様」という呼称がなくなったわけではない。真 の父母様のみ言や『天聖経』、『平和経』、『真の父母経』には、人類が普遍的に使っている「神様」という言葉がそのまま使われている。
旧 約時代には、神様を「ヤハウェ」と呼びました。新約時代には、「父なる神」と呼びました。「基元節」は、神様の夢が成し遂げられる日です。それで、今から 名称を変えようと思います。祈るときは、「神様」を「天の父母様」に変えなければなりません。英語で「ヘブンリー・ペアレント(Heavenly Parent)」です。英語で言っても聞きやすく韓国語で言っても意味があります。神様は、天の父母様です。祈るとき、一番初めに出てくる単語が「天の父 母様」、その次に「愛する天地人真の父母様」、このようにならなければなりません。そして、これから「統一教」という名称を「世界平和統一家庭連合」に変 更します。(天一国経典 天聖経 第十二篇 第四章 第三節38)
摂理的禧年の二〇〇七年を迎えて、父母様を中心としてすることとは何で しょうか。お父様は、無形の神様に代わってこの地上に現れて天の機密、地の秘密、人間の秘密をすべて解き明かし蕩減して、勝利した基盤をお母様に譲り渡し ました。お母様はこれを中心として百八十カ国で、そして、カインとアベルが一つになって四十カ国で、一体圏家庭を中心として収拾したのです。その次には、 皆さんの家庭が行かなければなりません。神様が一代、アダムが二代、それからアダム家庭のカインとアベルが三代ですが、三代圏を失ってしまったので、お父 様がこれを越えて勝利したのです。お母様がこれを越えることによって、エバ圏が勝利して、父母様が勝利したのです。(真の父母経 第一篇 第二章 第四節 28)
神様は、御自身を絶対投入して、愛の絶対対象を造られました。愛の実体対象が必要で造られたのです。地上世界はもちろん、天上世界に おいても、実体がなければ、実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければなりません。これが完成した真の父母の形態です。また、神様は地 を中心として愛し得る愛の対象が必要だったので、創造の摂理をされました。その基台の上に、神様は、御自身の絶対対象として造った人間が永存するようにす るため、繁殖の機能をお許しになったのです。これが神様の三大創造要素です。神様は、愛の根、生命の根、血統の根、地上天国と天上天国の根です。堕落がな かったら、アダムとエバが結婚するとき、神様はアダムとエバの心の中に入り、彼らと一体となって愛を実現したでしょう。そうして、神様は縦的な真の父母、 アダムとエバは横的な真の父母になったでしょう。二つの父母から血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自らに、体は横的な自らになって、一心、一体、一 念、一和の人生を営むことができたのです。(真の父母経 第一篇 第一章 第四節2)
7.基元節以降における、『天一国の歌』制定の意義と価値
1)『天一国の歌』制定の必要性
天 一国元年天暦1月13日、基元節を迎え、真のお母様は天一国の国鳥と国花を発表され、天一国が追求する理想と価値がよく表されるよう、国歌も新しくつくる ことを指示された。『天一国の歌』は、すでに2006年、天正宮博物館入宮戴冠式の時から、聖歌3番(日本の聖歌4番)である『栄光の賜物』が採択され、 使用されてきた。
そこで、天一国時代に我々が追求すべき理想と価値が余すところなく内包された国歌を制定するに至ったのである。新しい『天 一国の歌』は、天一国を成す核心的な要素である天の父母様の主権と天一国の国民と国土の概念などが表現され、人類の願う自由・平和・統一・幸福などの恒久 的な価値が実現された理想的な世界の具現体として、天一国の位相が完全に表現されるように制定された。特に、真のお母様は、『天一国の歌』の歌詞につい て、「天の父母様と天地人真の父母様を称え、天一国のビジョンと願いが五大洋六大州と天宙まで満ちることを祈る内容を盛り込まなければならない」と語られ た。
2)天一国時代のビジョンを盛り込んだ『天一国の歌』
天地人真の父母様のこのような願いと指示に従って、『天一国の 歌』の歌詞は、全体4番から構成され、天一国の象徴であるバラ、ユリ、鶴、天一国旗などを含め、自由、平和、統一、幸福などの人類が追求する普遍的価値を 表現し天の父母様の主権が臨む本然の理想世界である天一国が永遠たることを希望する人類の念願を描き上げた。また、『天一国の歌』のメロディーは、聖歌の 中で力強く、進取的な雰囲気の曲である聖歌2番(日本の聖歌3番)『聖励の新歌』のメロディーを採択した。天地人真の父母様のみ言によって新しく作られた 『天一国の歌』は次のとおりである。
天一国の歌
- 麗しき花よ 愛のバラ 望みの訪れ 満ち溢る
全世界あまねく こぞりて祝え 尽きぬ喜び
輝かさん 自由の天一国
- 気高き純白の 清きユり まばゆき心は とこしえに
全世界あまねく こぞりて祝え 尽きぬ喜び
輝かさん 平和の天一国
- 真白き妙なる 鶴が舞う 永久に果てなき エデンのごと
全世界あまねく こぞりて祝え 尽きぬ喜び
輝かさん 統一の天一国
- 高くはためく 天つ御旗 天地父母様の 願う理想
全世界あまねく こぞりて祝え 尽きぬ喜び
輝かさん 幸福の天一国
こ のように新しい内容と形式をもつようになった『天一国の歌』は、天地人真の父母様の御意向により、天一国元年天暦1月1日、第46回「天の父母様の日」記 念敬拝式において初めて公表され、歌われることで、天一国時代を讃美する天一国の国歌として位置付けられるようになった。『天一国の歌』は、新しく制定さ れる過程の始めから公表に至るまで、天地人真の父母様の御意向にしたがってつくられたもので、『天一国の歌』を歌うたびに、天地人真の父母様の願いどおり に、天の父母様と天地人真の父母様の愛を感じながら讃美し、天一国の位相と価値を悟らされる。国歌は、国を象徴し、国民の精神を一つに一致させる求心的機 能を果たし、国格を対外に明らかにする要素であるということを考えると、『天一国の歌』のもつ位相と価値が、天一国時代を生きていく我々にとってどれほど 大事なものであるかを察するに難くない。
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