2017年7月26日水曜日

適正な秩序の王国<全文>2017年7月16日

聖日英語説教:Kingdom of Proper Order2017年7月16日

お願い:当ブログ教会は、宣教と所属教会員のために御言葉をコレクションしています。ご了承下さい。
英日翻訳はサンクチュアリNEWSさんからの転載です。映像は2nd Israelさんです。
いつもありがとうございます。
英語説教は格調高く詳しいです。韓国語説教は言いたいことが集約され、また韓国日本向けになっていますので合わせて読んで頂ければと思います。

2017-7-19 韓国語礼拝『神様の王国の正しい秩序』<全文>



適正な秩序の王国<全文>2017年7月16日 

Kingdom of Proper Order



「適正な秩序の王国」を始めましょう。
へブル人の手紙第一章です。この章はすべてが素晴らしい。
まず半分ずつ一緒に読みましょう。全体を読みます。
多くの内容が語られています。信じられないくらいです。
一緒に読みましょう。ここでも「王国」が語られています。
へブル人の手紙、第1章です。


01:01神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 01:02この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 01:03御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 01:04御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
01:05いったい神は、かつて天使のだれに、
「あなたはわたしの子、
わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。 01:06更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、
「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
01:07また、天使たちに関しては、
「神は、その天使たちを風とし、
御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、 01:08一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、
また、公正の笏が御国の笏である。
01:09あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、
あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」 01:10また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。 01:11これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
01:12あなたが外套のように巻くと、
これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、
あなたの年は尽きることがない。」 01:13神は、かつて天使のだれに向かって、
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、
わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。 01:14天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。


何と力強い聖句でしょうか。天一国を予示しています。パウロはこう指摘しています。最後の日、王国では、天使は・・・続きはなんといっていますか?


天使は「救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされた」といっているのです。天使はボスでも、王でもありません。天使は「支配者」などではありません。支配するのは、キリストから「救い」を相続した者です。もちろん天使はとても強力です。しかし天使は仕える者であり、支配者の下で使えるのです。ここではあらゆる例をあげています。


いったい神は、かつて天使のだれに、
「あなたはわたしの子」と言ったでしょうか、そんなことは決して言っておられません。聖書は秩序に関しては明確です。最後の部分を見てみましょう。「息子」に関する聖句と、「王国」がここにでています。
「神よ、あなたの玉座は永遠に続き」、「公正」の笏といっています。「公正の笏」は「王国の笏」になるのです。2,3週間前の話を覚えているでしょうか。


「身代わりの償い」と「神様の義」について多くを語りました。誰かを怒らせた、心情的な負債を抱えるというのはそれ自体、神様の前では犯罪です。聖なる裁判官、聖なる神の前では犯罪だというのです。これを論議したとき、犯罪には罰が必要だといいました。神様はただ罪を許すことはできません。罪は犯罪でもあるからです。
もし神様がすべての罪を許されるなら、「正義」が行われません。例えばある裁判官の前に、大量殺人を犯した犯罪者が来て、「本当に申し訳ありません。私が全員殺して、食べました」と言ったとして、裁判官が「ああ、そうか。お前の気持ちは理解する。お前はもう自由だ。サンキュー、ジェフリー・ダマ―」などと言ったらどうですか。すべての人が「問題だ」というでしょう。


大きな問題です。なぜなら、とてつもない罪を犯していながら、とんでもない悪を行いながら、やすやすと赦すなら、国に正義が保たれないでしょう。まったく正義の存在しない、ギャングが支配する無法地帯と化すことでしょう。不幸にもこの国はそうなっています。


特に、オバマとヒラリーのもとで。要点は、神様は正義のお方であるがゆえに悪を赦すことができないのです。正義の神は「罪」に対して何らかの「償い」が必要になるのです。その人間に対して神様が悪感情をもった、などという話ではないのです。正真正銘の犯罪なのです!
罪の問題をよく理解し、因果応報の問題、身代わりの償いについてよく考えるなら、それらを深く理解すればするほど、なぜ、神様が・・・最後にお父様の訓読会のみ言葉も紹介しますが・・・お父様は強力なみ言葉をこの問題に関して語っておられます・・・劉師もずっと語っていましたが、神様が一旦、法を作られたなら自由にそれを破ることはできないということです。神様は正しい、正しいお方です。「そういう事情なら、その法は無視して・・」などとはいかないのです。神様もご自分が立てた法を守っておられます。だから途中で介入して人間の犯罪を止めることができないのです。このように神様は御自身がつくられた法を守っておられます。


神様は正義のお方です。それゆえに罪に罰を与えなければなりません。罪は罰せられ、犯罪は処罰されなければならないというのです。王国に何らかの正義が必要ならそうしなければなりません。
ここで話を数百年前にさかのぼりましょう。キリスト教の教父たち、キリスト教の思想家の話です。というのも現代のキリスト教世界にも当時の二つの考え方が引き継がれ残されているからです。「贖罪」についての理論と考察です。この「贖罪」について理解を深めるにつれて、イエス様とその苦難の路程をより深く理解できるようになります。また再臨主、再臨のイエスであるお父様についても、理解が深まるのです。異なる視点が与えられる。


お父様は蕩減路程を歩まれました。メシアがなぜそこまでの苦難の道を行かなければならないのかということの理解にもつながります。お父様を本当に愛するのならこれは重要な問題です。神様は何故、キリストをそこまで追いやらなければならなかったのか、ということ。これは「贖罪」について理解を深めるとき、よりよく理解できることなのです。
「償い」は「身代金」と見る説が原始教会では支配的でした。このパウロの手紙から原始教会の教父たちがアイデアをたくさん得ました。キリストの死が「贖い」にたいする「身代金」に当たると考えたのです。讃美歌でもあるでしょう。『キリストは私の「贖い」として「死んで」くださった・・・』こういう曲があるでしょう。


その思想は、最初の頃の教会から出ているのです。イエス様がなされたことは、初代教会の人々そして人類を贖うための犠牲だったと。
もちろんキリストが全人類のために支払った犠牲の価値を思うのは重要なことです。


わたしたちのキリストとの心情的つながりを強めてくれます。子供との関係を考えてみて下さい。子供たちがあなたに感謝して、それを言葉にするとき、気持ちが良くないですか。本当に恵みを感じることでしょう。親としての行い、その助けに感謝して、記憶に留めていてくれる時、「何と神様は素晴らしいお方だ!」ということでしょう。


もちろんその逆もあるでしょう。反抗的になるときは地獄のようでしょう。しかし、あなたが、子供たちが恵みを受けるために払った犠牲について子供たちが思い起こし、感謝し、認めてくれる時、あなたも感謝するでしょう。実際、多くの子供たちは、親の払った犠牲を感謝することもなく甘やかされ駄目になっているのです。


神様との関係においても同じです。なぜ神様がそこまで苦難を受けられたのか、それについて私たちが理解しようと深く深く、神様の深い内容に思いを致すとき、わたしたちはその時、路程に感謝して、認識しているのです。もちろんそれは不十分な、不足なもので決して完璧とは言えませんが。お父様がわたしたちのために歩まれた生涯路程を完全には理解できないのです。文字通り、すべての瞬間を私たちのために苦難の道を歩いて下さいました。10億の何兆倍のそのまた何兆倍もの苦難です。私たちはその全体を理解することなどできません。しかしその苦難の理由、背後の心情、심정、それを介して少し理解できるのです。


原始教会では人々のためにイエス様が受けた苦難は、サタンに対する「支払い」だと考えられていたのです。サタンへの代償、「死」への代償と。聖句の3行目を見てください。アダムとエバは堕落によって文字通り悪魔に人間を売り渡した。基本的に売り渡したのです。


堕落して神様から離れた結果、未来への血統、未来の文明、人類の未来などすべてをサタンに捧げ、売り渡したというのです。そして現在、サタンが全人類にたいする所有権をもっています。


その結果、「正義」はわれわれをサタンの所有から解放させるためには神様はサタンに「身代金」を支払わなければならない。人間が未熟だから、またサタンに人類を売ったという信じられない犯罪を到底自ら支払う手立てがないのです。だから神様が歴史に現れて、介入されて、しかも肉体をもった姿で人間として現れるというのです。堕落が肉的だったので、神様も肉体をもって。地上の神の国という文明が、その実体が(サタンに)売り払われたのですから。だからこそ神様は、肉体をもって介入されるのです。なぜなら、王国は現実に建設されるべきだからです。だからこの見方によると、支払いを受けたのはサタン、であり「(霊的)死」そのものが身代金を受け取った。この説と似ているものに「受取人は神だ」というものもあります。これによって堕落の結果、人類の魂に対する負債が解消された、満たされたというのです。ある意味、懲罰がなされたとみるのです。壊されたものが修復された。ここで「満たされた」という言葉の意味はそういうことです。罪の結果として人類の魂がかかえた負債は解消した。面白い考え方です。こちらを見てください。


神様がキリストを代賞とサタンが受け取るように策を仕掛けられた。神様が悪魔に一杯食わせて、神の子であるイエス様を、人類を悪魔に売るという罪の身代金として受け入れさせた。しかしサタンはキリストが「死」に支配される方ではないということを悟らなかった。墓から蘇られるお方です。死んだからと言って終わる方ではないのです。しかしひとたびサタンが「身代金」としてキリストの死を受け取ったなら、「正義」はなるのです、たとえサタンが策に引っ掛かっただけだとしても!たとえ霊界にいたとしてもイエス様が摂理を前進させ、「正義」は成就され神様は人類をサタンから解放することができた。ここでいう救いはあくまでも霊的救いです。まさにこの点を、私たちが成約時代の観点からキリスト教徒を一段下に見てきた点でした、「あなた方はまだ完全に救いを受けてはいない」こう言って。だから私たちはこういう思い込みを持っていました。


「キリスト教徒は救われていないが、われわれは救われた」。
しかし原理の観点から見て必ずしもそれは正しくありません。キリスト教徒は霊的救いを受けています。救われているのです。異教徒のように霊肉共に救いを受けない者たちとは異なります。キリスト教とは霊的救いを受けているのです。異教の儒教や仏教の背景をもった、多くの(韓国の)長老からある文化が生じました。だから自然に理解できないことだったのです。しかし現実に、(統一教会は)キリスト教やキリスト教徒をさげすむような文化をもちました。しかし彼らはわれわれの信者仲間であるだけでなく、救いを受けた者達なのです。しかも同じ唯一真の神様に仕えています。


とても大事なことです。「キリスト教徒は、神様の苦難を分かっていない」と(教会内で)話すのをしょっちゅう耳にしました。しかしキリスト教徒が、キリストの受難についてのキリスト教神学を語るときの心情は、すべて神の苦難を思い語っているではないですか。
イエス様が十字架に向かい、十字架を背負い、十字架に釘付けにされる。そして神様に「どうして私を見捨てられるのですか」と叫ばれる。これらすべては神様の受難ではないですか。キリストの受難(The Passion)とは文字通り「苦難」を意味します。


ここでみる原始教会の見方の要点はこの「支払い」はサタンへの支払いだということです。サタンが人類に対する所有権を握っているのだから、当然「支払い」を受けるべきだと。そしてこれこそ、世界文明を築き、世界を導くキリスト教の全活動の根底に流れるものです。こうして新しい神中心の愛と倫理が生まれたのです、そしてそれがいま、女性や子供を守っているのです。これが人類を抑圧から解放し、霊界のサタンから解放する願いの基礎だというのです。地上ではサタンに支配された人間が抑圧をおこなっています。サタンから人類を解放するすべての願いは、この「サタンから人類を解放するために神は何を為されるべきか」という初期の思索に結びついているのです。この思想は数百年の時間の経過とともに幾度となく再検討されました。興味深いことに、11世紀から13世紀まで、トマス・アクィナスなどの人びとがさらに深い思索を重ねこれを検討しました。しかしいつも結論はそれまでのカトリック教会のものと同じでした。皆さんも見たことがあるでしょう。トマス・アクィナスなど修道士の絵を。実際、トマス・アクィナスはドミニコ会の修道士でした。この贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )についての彼らの検討は非常に深いものでした。しかし結論は結局、社会学的結論、つまり「それゆえに中央集権的カトリック教会が核心的に重要であり、それ(カトリック)こそ地上天国だ」というものでした。その時点から天使長的であったと考えられるのです。だから権力ピラミッドの頂点に君臨するカトリック教会はトマス・アクィナスをとても持ち上げるのです。アクィナスに聖人の位を与えドミニコ会修道士を一番に持ってくるのです、つまり彼らの神学をカトリックは愛しているのです。トマス・アクィナスが神の受難に関して、キリストの行動に関して真摯に思索していたとしてもカトリック教会にとっては関係ないのです。


またアクィナスの前に、カンタベリーのアンセルムス(生年1033年)がいます。キリスト教弁証学を学ぶとわかりますが、神の存在に関して存在論的議論を加えた人です。これはしばしば無神論者との討論で用いられます。彼はカンタベリーの司教でもありました。またこの贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )は彼が初めて唱えました。


ここでは「満たされる(gratification)」ではなく、損害賠償を「満たす(satisfaction)」ことが問題とされます。壊されたものは弁償し、奪われたものには支払うという考え方です。神様は正義の神なので、正義に対する侮辱は償わなければならないというものです。神様は公平で平等なお方なので神様の正義を侵すとき、公正に対する侵害、正義に対する侵害、平等に対する侵害、等々は償う必要がある。これは不正義に対するバランスをとるという法的な考え方にも関連しています。これによると罪、特にアダム、エバの罪は、主権を売り渡したということ、ここで主権というものは非常に大切なものであることを強調しておきますが、これは同時に、法的な考え方、つまり犯罪があったので正義の回復のためそれは償われなければならない。だからここにいる人もインターネットを見ている人も、サイコパスでない限り、「その悪(ワル)は許してやれ」などと言うことはできないのです。そのような国には正義が存在しません。それゆえ、正義は犯罪に対して償いを要求するというのです。法的バランスの問題です。ここでカンタベリーのアンセルムスについて見ることにしましょう。彼の代償理論です。


アンセルムスによれば、われわれは神の「名誉」に対して負債を追っているといいます。彼が、犯罪には償いが必要だということを理解していることを示しています。アンセルムスの観点によると私たちは「名誉ある神に恥辱をもたらした」というのです。神様は真に名誉あるお方です。誉(ほまれ)と尊敬と称賛に値するお方だというのです。われわれの罪、犯罪によって、それは罰せられなければならないと同時に、さらに一歩進んで、その行為によって神様に不名誉をもたらしたとするのです。つまり私たちは犯罪により償わなければならないのはもちろん、その上に、称賛されるべきお方に対して不名誉をもたらしたという犯罪を行った事実があるというのです。分かりますか。


だからこれは単なる、支払い、未支払いの問題、犯罪と刑罰の問題ではないのです。その上位に神様の心情を観なければならないというのです。神様は恥辱を与えられ、深く貶められたのです。深い深い傷を負ったのです。これは人間と天使が神様に対して負った負債であり、この負債を償却しないものは罪とを負い、これを償却する者は罪を免れる。これは義、あるいはみ旨の正しさであり、これが人の心を正しくさせ、正義をもたらす。これが、私たちが神に負う、神の名誉に対する完全で唯一の負債である。そして神はそれをわれらに求める。この負債を神に返すことができなかったので、本来の正義を回復するには不十分であり、神の名誉に対する罪(その負債)も満たされなければなりません。


だから自分の娘を殺した人間が「自分は20年の刑期を終えた」というだけでは、あるいはその代償を支払うだけでは済まないのです。その関係において再び調和を取り戻すためには、代償だけでは十分ではありません。悔い改めて面と向かって「申し訳ありません」と言って許しを求めることができなければならないのです。例えば誰かが自分の家族に対して犯罪を行なうとき、仮に家の一部を壊されたとしましょう。あなたは訴え、その弁償として200万円受け取ったとしましょう。しかしその過程で、心理的ストレスなど他の損害を受けています。例えばそのせいで離婚したり・・・。その犯罪によって派生した問題を抱えたりすることがある。その犯罪だけに限定されるものではありません。      
翻訳:ここまでサンクチュアリNEWS管理人ここからBANBOOS


イエス・キリストと再臨のイエスである真のお父様はそのような犯罪のために蕩減を払っているということではないのです。確かに犯罪には罰が必要です。彼らは実際そうしています。しかし、同時に彼らは私たちが罪を犯し、冒涜し、侮辱してしまった神様との関係性を復帰するために(蕩減を)支払っているのです。私たちが気づくことなくキリストが支払っているまったく別の層があります。原理的な考え方でいうところの心情の世界のようなものです。クリスチャンは普通それが分かっていません。彼らはただ賠償の償いや支払いといったものとしてしか捉えていません。もっと進んだ見方をしたとしても、犯罪と罰というものです。彼らはまだ神様の観点から心情的な世界でそれを捉えていません。「神様がとても冒涜された」「神様がとても侮辱された」と。


これに対する反対者は古典的に「神様はケチだ。神様はまったく中世ヨーロッパの封建制の王様のようだ」といつも言っていました。そうではなく、主権というものを理解するなら、天一国でも自由市場の中での評判が絶対的に重要なものです。あなたの名誉が絶対的に重要です。つまり、あなたが誰かに仕えれば他の人もそれによって信頼してくれるということです。


ですから主権という点で、これについて「神様は封建制の君主だ」と言ってぶつぶつ文句を言う人々は、罪(原罪)というものが罰を受けるべき犯罪であるという事実が抜け落ちているのです。しかし同時に、誰かを侮辱することは、そしてその人がそのことで侮辱されたと感じることは、狭量なのです。


さて主権という観点で、あなたの家庭の尊厳を保ち、あなたの王権の尊厳を保ち、氏族の血統の尊厳を保つということは、絶対的に非常に重要なことです。それは天一国において王の血統の未来に直接の影響をもたらします。そして誰かが私たちをひどく侮辱して、私たちもとても侮辱されたと感じたとして、その人物との関係を復帰するために―私たちはいつでもそのような人を無視して切ってしまうこともできますが―しかしその関係性を復帰するために何が必要かと言えば、その人物が許しを乞わなければなりません。あなたの家庭に与えた損害を返済するだけでは十分ではありません。彼らはその関係性を復帰するためには実際に「申し訳ありません」と言わなければならないのです。それで私たちは関係を持ったレベルになれるのです。


その犯罪に対して償いをすれば気持ちも和らぎ損害に対する補償も得て法的には問題ありません。しかし、それでもその人が今あなたの友人であるということにはなりません。親しい友人だと言うことはできないのです。聖書ではキリストはどんな兄弟よりも近い存在だと言っています。


その関係性の本質を復帰するためです。その犯罪に対する罰だけでなく、(天の)父と人類との間に意図されていた関係性における本質、調和のためなのです。そこにはそのための償いもなければなりません。私たちは多くの場合これを見落としているのです。お父様の苦難の路程・・・。


家庭詐欺連合は、お父様が彼らの犯罪に対する罰も償わなければならなかったということを理解できるレベルにもありません。彼らはそれを理解していません。私が話しているのはまた別のレベルで、お父様は実際全人類の罰に対する償い、すべての堕落、堕落行為、堕落した文明などのために蕩減をしなければならなったということを理解するということです。しかし同時にお父様は、ただ返済するのではなくそれを恨みのない本来のものとして復帰しようとしているということです。お父様は関係性と心情のレベルを全く恨みのない状態に復帰しようとしているという話です。不正を行い侮辱されるという感覚もありません。


私たちは、キリストが通過し償わなければならなかったことを熟考し理解すればするほど、それが初期の教会で見られたような単なる賠償ではなかったということになります。それも重要な要素ではあるのですが、それがすべてではなかったのです。


神様の苦難の路程には多くの層があります。それは私たちが解放され、祝福を受け、王国で暮らし、それに向かっていくことができ、主権を持つことができるようにするために神様が歩まなければならないものです。これらはみな自分や他の人から来るものではなく、ただ神様が受肉して来られるキリストから来るものなのです。劉先生が先週ずっと語っていたように地上における実体的な神様、神様の実体的な体として来られる方です。神様が世界で働かれる渦の中心点があります。ある点があります。神様が地上で働かられる一人の男性がいるのです。もちろん私たちはその方と共に歩みました。


「その負債は道徳的宇宙で不均衡を生み出しました」
その負債は法的な世界でだけでなく、道徳の世界で不均衡を生み出したと言っていたことに注目してください。なぜなら神様も道徳的な存在だからです。宇宙は数学的にだけ作られたのではなく、それは道徳的な宇宙です。なぜなら神様は数学的な宇宙をその道徳性で治めるからです。神様は道徳的存在であり、善なる方です。正義であり高貴であり、愛です。存在論的な観点で、考えられるあらゆる宇宙において最大限に優れた存在です。


負債が不均衡を作り出すとあります。道徳的な世界における不均衡です。私たちサンクチュアリの人が人々と話しに行こうとするとき、乱暴で 闘争的だとみなされ、何をしようとしているのかと言われます。私たちは彼らが神様と自分たちの間でひっくり返したバランスを復帰しようとしています。私たちは彼らが、神様との関係性で自分自身を正しく見つめ、彼ら自身ではなく神様をすべての賛美に値する方として正しく関係を持つことができるようにするために、彼らがバランスを取り戻すのを手伝おうとしているのです。


ですからもちろん人々に真実を話し、彼らを愛することができるのです。もちろん皆さんの多くが初期の頃からそれを経験しました。昨日もそうでした。人々に嘲笑され、無視され、逃げられて。


あらゆる人が私に、お願いだから天の父母様の名前で祈ってくれと言っていたことを覚えています。私はスタジアムで代表祈祷をしなければなりませんでした。3万の人がいる中で祈祷しなければならず、あらゆる人がお願いだから天の父母様と祈ってくれと。お父様の聖和の儀式の後、すべてのことが終わって、それから私は檀上に上がり、もちろん「敬愛する最愛の天のお父様」と祈ったのです。


私が天のお父様と祈ったとき、まるでそれは致命的な罪を犯したことのようになりました。リーダーたちはみな真っ青になりました。天のお父様と言っただけで。


そして私たちは彼らがクーデターを起こしていることが分かっていました。裏で私たちを殺そうとしていたのです。なぜなら私たちが彼らのロビー活動の制度、共産主義の制度を破壊していたからです。お互いをかばい合い小さなロビー活動グループを作って、できるだけ多くのお金を盗もうとしていたのです。彼らはなんとタッグチームを作っていました。


お父様と一緒にいたとき、お父様は私に夜一緒にいるように言われ、それがどの程度のものか分かりました。私がいつもそれほどお父様の近くにいたのは、いつも人々が様々なチームを組んでお父様の場所に侵入して来るからでした。巨文島に行くとき彼らは別々のチームに分かれていました。私は船で一つのチームと一緒にいなければなりませんでした。彼らはいつも文字通り何かを得ようとしていたので、私はお父様のすぐ横で寝なければなりませんでした。


そして私たちはそれが日本の兄弟姉妹に負わせられることが分かっていたのです。そのような騒ぎの中で私たちは違った意見を出そうとしていました。それで12時間とか時間が経って日が沈むと、今度は別のチームが待ち構えているのです。「お父様、今日は忙しすぎて船に乗れずに申し訳ありません」と言って(笑)。それでまた6-8時間の警護活動が始まるというのです。それは馬鹿げたことでした。


しかしそれが悪の本質であって、彼らはお互いに共謀し協力し合って悪事を働き、だまして搾取するのです。お父様はこれに気づいておられないわけではありませんでした。彼らの本質を知っていたのです。しかし、お父様は神様と全く同じようにサタンも使われたのです。


最終的にお父様は自分のなさっていることが分かっておられました。韓お母様が裏切ることを知っていたのです。詐欺師たちが完全に正体を現すように仕掛けていたのです。彼らは3、4年のうちに詐欺を働いていました。


しかし負債の不均衡があり、神様に支払われるべき正義の負債を償い、神聖な名誉に対する損害を賠償するために、人として人のために実行する永遠の偉大さを持つ存在のためにその負債を賠償する唯一の方法として宇宙の中でそれが作られています。


お父様の苦難の蕩減の路程を見たとき、それはすなわち神聖な名誉を復帰しようとする路程であり、神様の神聖な名誉に対する損害を取り除こうとする路程であるということなのです。それによって刺激を、真のお父様の力強い意志を感じさせるような最適なニュアンスが与えられるのではないでしょうか。


確かにお父様は人類を救いたいと思っておられますし、堕落してしまった者たちを救いたいと思っておられますし、神様に対して犯罪を犯した者たちを救いたいと思っておられます。しかしそれに加えて、お父様は数え切れないほどこれについて繰り返して語られ、もちろん恨みも苦痛も憤りもない神様との関係性を復帰しようとしていましたが、それだけでなく、神様が傷つけられた神聖な名誉、すべての天使たちと被造世界の前の偉大な名誉もそうだというのです。


これらの天使たちは神様と共にすべてのものを創造するために働きました。あらゆるもの、数学と方程式といったすべてのもの、宇宙を作りました。神様は自分の姿に似せた存在を創造しようと言われ、彼らが成長して素晴らしい存在になって王国を支配し、君たちも支配するのだと天使長に語りました。すると彼は、それがあまり気に入らない、いい考えではないと言ったのです。神様が人間を創造すると、「この愚か者たちが我々を支配する?そんな馬鹿な。あの馬鹿は湖で飛び跳ねてカエルを捕まえているのに。彼らは我々を支配できない。我々は空を飛べるし、あれもこれもできるし、翼をはためかせて交響楽を奏でさせることもできる。あの男は能無しだ。彼は汚れて木の周りで遊んでいる。彼は狩りや釣りに忙しい」と言ったのです。


「いやいや、待ちなさい。あれは私の子供だ。彼は支配するし、立派にやるだろう」(神様の言葉)
天使長の立場から考えてみてください。「神様は狂っている!我々は彼のために宇宙を支配しなければならない。我々は哀れみ深く賢いので神様のためにそうしなければならない」
見てください。その負債を賠償する唯一の方法。神聖な名誉に対する損害。アダムとエバが堕落したとき、天使長は「この人たちは何にもなりません。あなたを悪くみせます。この愚か者たちはだめです。私たちのほうがずっと良いのになぜ彼らに与えるのですか。そして彼らは堕落しました」と言うのです。


この絶え間ない長広舌の非難。「神様は彼らがとても立派になると言ったのではないですか。私は彼らが立派になると聞きましたが」といったようなことです。もちろんこれは普通の人に対してではなくて、その役立たずの者を創造した、そのAI-天使長を創造した完璧な宇宙の創造者に対してのものです。彼らはまさにそのようなAIのようなものではないでしょうか。彼らは私たちよりも早く計算も数学もできますが、結局悪になり、まるでAIのように私たちを排除したいと思っています。そこには同じ精神があります。


西洋では多くの東洋の国があるために変わりました。他国民がやってきて・・・彼らにとっては家族の名誉が非常に大きいのです。西洋では個人主義などのためにそれはあまり重要ではありません。インドから来たシーク教徒の家族に会ったり、アジアの日本人、韓国人、中国人に会ったりしてみれば、彼らはもっとそのような傾向があります。家族の名誉を汚さないことが非常に大きな問題なのです。


ここで神様の名誉について考えてみると、非常にたくさんの投入があります。何百万年という歳月を考えてみるなら、もしかしたら神様の心の中で熟慮することがあったかもしれません。「この愚かな者たちに自由意思を与えるべきだろうか。もしそうしたら彼らはめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。もしかしたら彼らをロボットのように作るべきかもしれない。彼らを天使長のようにすべきかもしれない」と。


重要な点は、神様がそれについて考えて非常に大きな選択を、重大な決断を下したということです。宇宙の完全な道徳律の中で神様は重大な決断をしました。それはつまり、彼らを似姿の子供として残し、自由意思を持たせて神様か神様からすべてを盗んだ者であるサタンのどちらかを選択させるということです。


お父様が神様の恨について語られるとき、サタンの讒訴について話されています。私たちがお父様にもたらされる恥という文脈を心に留めておかなければ・・・お父様が非常にたくさん投入されたこと、自分の持てるものをすべて与えて、子供たちは立派になると公的に宣言され、そして彼らはすべて失敗しています。それはお父様の名誉にとって非常に大きな問題です。


劉先生と話しました。人々は私たちにお母様を救わなければならないと言います。私たちはお母様と同調しないことによって彼女を救ったのだと彼らに言いました。カインとアベルが彼女と一緒に行かなかったので、彼女が帰って来る道があるのです。真の母としてではなく、私たちの子供たちのおばあさんとして帰って来るということです。
私たちがそうしておらずにこのばかげた異端に同調していたなら・・・それはこの3、4年で誰もが分かったようにひどい異端なのです。家庭詐欺連合の人々も、「今のお母様は好きではない」と言うのです。全く非原理的なことを言っているのです。


その短い期間で彼らはその異端の本質を既に見てきたのです。私たちが何年も前に言ったように、女神信仰は必ず女性の搾取に結びつきます。権限の付与ではありません。そのように受け入れさせられますが、若い女性の搾取へと結びつきます。なぜなら、女神が崇拝の対象となるや否や・・・。その女神は今、父の神と競争しているのですが、女神はあることを自由市場に提供できます。あらゆる他の異教の神々と競争する中で、彼女はセックスを提供できるというのです。


ですから女神信仰は常に多産と若さを中心としており、大きな胸と尻、裸の女性が常に多産の中心です。あなたを愛する女神の愛の性質が、あらゆる豊かさと多産の祝福を与えるというのです。


それが現実の世界で時代を超えてどのように実現したでしょうか。あらゆる文明で絶えずそれは同じように女性を売ることに結びつくのです。神殿娼婦に結びつき、「あなたの娘を捧げなさい。そうすれば家族の大きな栄光となります」と告げるばかげた祭司を、狂った市民が信じるようになるのです。アシュラでもイシュタルでも、アフロディーテでもビーナスでも何であっても、彼女がその女神を代表するのだと言って。それは皆同じく愚かなことです。ヒンズーのヤラマでも同じです。
そして男はその神殿娼婦を得るために大金を払います。それはビジネスなのです。ですから神様は父です。OSDP(原理本体論)でもはっきりしています。神様はそれが好きではありません。なぜなら良い父親が皆そうであるように、自分の娘がレイプされ売春婦として売られるのを見たくないからです。


例えば審判が無いとしてそこには何もありませんでした。家庭詐欺連合が導こうとする軌道は、お分かりのように既に彼らの言うところの祝福を見つめさせようとしています。ばかげたことです。上層部のリーダーたちは皆100パーセント左翼の狂った相対主義者です。彼らは原理など屑同然だと考えています。あとどれくらいでリーダーたちが幼い子供搾取するに至るまで堕落してしまうでしょうか。正に悪魔崇拝そのものへと。


「イエスが聖句で述べている賠償金とは、父に対してのみ支払われる負債のための犠牲となるでしょう」
もう一度言いますが、サタンに支払われるのではなくお父様に支払われるということです。


劉先生が立ち上がってくれたことを本当に称賛したいと思います。彼は韓国でやっていましたが、(米国)サンクチュアリに初めて来て、今回公に人々か彼に会います。國進兄さんや私とも。彼はこれに対して多くの非難を受けるでしょうが、彼の決心は堅いものです。彼はこの控室に来たとき、私が真のお父様、天地の王の王から命じられたように、喜んでOSDP(原理本体論)を六大陸で講義するつもりだと言いました。
ですからこの「不正な」教材が世界の各地で広まることになるでしょう。良心を持ち、神様のみ言葉を聞くことを渇望するすべての兄弟姉妹達は、変わるかもしれません。神様のみ言は(人を)変えるのです。翻訳チームのアンドリュー・ラウズバーグとティム・エルダーに拍手を送りましょう。素晴らしい仕事でした。王国の愛国者たちが皆ここに集まっています。


天聖経72ページ(英語版)を読みましょう。
自分勝手にする神様ではありません。法を立てたならば、永遠なる方が制定した法は永遠のものです。自分が立てたものを自分勝手にしないのです。
それに順応して越えていこうとするその神様の権威、それが驚くべきことなのです。公義を立てるにおいては、すべて天理の原則にかなう公法を立てるにおいては、絶対に神様がまず踏んで越えていったのちに、万民が従うようになっていて、宇宙が従うようになっているのであって、それを2番目にすることはできないのです。そのような人間創造の理想的基準があるのです


今日の日に神様に栄光を捧げ、神様が私たちをサタンから解放させて、神様との心情関係を復帰するために支払わなければならなかったものについてじっくりと考えましょう。

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聖酒送ります。戻る祝福を受け天の直接主管を受けましょう。

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