2017年7月27日木曜日

原理本性試論 夜の神様の父母性

原理本性論 夜の神様の父母性
真のお父様は神は父母であると言い続けて来られた。しかし家庭連合の間違った天の父母論によって本来の神の父母性が損なわれた。
ここでは本来の神の父母性を論じ、その本来の価値の修復を試みる。


1.夜の神の父母性と、夜の神の父母性の損失
1-1.夜の神の父母性


真のお父様は神様を父母であると数多く言ってこられた。
次のみ言は神様のその神性を端的にあらわされたみ言である。


 我々が信じる神は、誰なのでしょうか? 我々の父なのです。我々のアボジはどのようなお方か? 神は父母の神ですから、死亡の絆に捕らわれた息子・娘を見やるとき、彼らを助けたいのです。1960年1月17日(日)前本部教会


ここに真のお父様は神様の最も重要な神性を言われた。
即ち神は父であり父母であるということである。
真の父母思想をもって時空間を創造された夜の神様は父であり父母である。


今日、神がいるということを信じている人はいるが、神が誰なのかは知らずにいる。神は父母の中の父母である
天地の大道(第一節 宇宙の根本 1991年8月25日


神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。(250-38,1998.10.10)日本語天聖教2010年版P1662


神は父母の中の父母、これが神の根本神性である。
神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母である。真の愛を中心とした、縦的な父母である。その真の愛を中心とした父母の心情によって真の父母思想を持たれ、その真の父母思想に基づき創造原理を創造され、天宙を創造し、真の父母と数多くの父母を創造された夜の神様は父母の中の父母なのである。
地上に真の父母が生まれたのは、その創造主である夜の神様の心情が真の愛を中心とした父母の心情であるからだ。

真の父母思想は創世以前からあった夜の神様の核心思想である。
夜の神の真の父母思想は父母の愛と情によってつくられ、その父母思想によってつくられた創造原理の動機は真の愛を中心とした銃的な父母の心情である。


 先生は今日まで、自分の父母のために祈祷したことはありません。先生には八人の兄弟がいました。また母が虐殺されたと聞いていますが、先生はそのために祈祷をしたことはありません。先生の祈りはこの宇宙の解放であって、自分の父母の解放ではありません。先生の前に父母はいません。最初アダム、エバを中心として、神が父母であってこの世に私を生んでくれた父母を父母として考えることができないのです。ですから兄弟もいないのです。その面において先生は徹底して生きてきました。
最後の祭壇 ファミリー1987年12月号 1987年6月14日(聖日)韓国・ソウル本部教会にて


真のお父様は、神が父母であるがゆえに虐殺された母にも自分の父母のために祈ることもなく、神が父母であるがゆえに父母である神の解放のために歩んでこられた。このことに徹底して歩んでこられた。それは自分が神の子で有り神を父母であると思う愛と心情があるからこそ歩むことができた10万の十字架の道であった。


夜の神様の精子から来られたイエス様と、再臨主・真のお父様が一人にして父であり父母であられるのは、夜の神様がこのような父であり、父母の中の父母であるからである。
即ち夜の神の精子は、真の愛を中心とした父であり父母である夜の神様の神性の要素によってつくられている。夜の神はそのような真の愛の精子を持つ男性である。神はそのような男性であるがゆえに天の父母と言わず天のお父様と言うのである。
現実にアダムとエバは母なる神無くして父なる神お一人によって創造された。それゆえに神は父母である。
現実に夜の神は母なる神無くして父お一人でイエス様と真のお父様を送って下さった、それは夜の神様が父母であるからだ。


夜の神が父母であるがゆえに女性を創造することを目的とする真の父母思想を持たれた。このように女性、母という概念さえもなかった時空間も二性性相も無い闇の世界に真の愛による父母の心情だけをもって存在しておられた方が夜の神様である。
我々は夜の神様を理解するにあたり、独立した女性との結婚がなければ父母になれないという被造物世界の一般論からくる固定観念から脱却しなければならない。


コリント人への手紙 11章7~9節
11:7男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。 11:8なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。 11:9また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。


人の精子がXYであるのはこのような神の父母性と夜の神様の真の父母思想によってつくられた神のかたちであり神の栄光を表すからである。

1-2.夜の神の父母性の損失


ところが家庭連合は神様を「天のお父様」から「天の父母様」と呼ぶことにより、むしろ神は父にして父母であるその父母性を失った。


家庭連合の神のその父母性は、天の母を迎え結婚してこそ天の父母として顕在化するという。つまり神(男性神)の相対となる神(女性神)の存在を認める二元論である。
これは父母は男性と女性が結婚しなければ父母になれないという被造世界の一般論固定観念を夜の神様にまで当てはめてしまったことからくる異端神学である。


その女性神が聖霊実体としてエバであり韓氏オモニということである。
家庭連合の言う天の父母様は、このような二元論としての天の父母であることが異端であり、この神学のために天の父母という言葉が使われていることが問題なのである。
夜の神の相対(妻)となるこの世の神、これが韓氏オモニが私は神であるという意味である。それ故に神の妻である韓氏オモには真のお父様の前に主体として立つという異端の神学である。


家庭連合が配布した成約摂理解説の四位基台

家庭連合の夜の神様と昼の神様の位相図  


    <天の父母様>     <天地人真の父母様>

「夜の神なる    「昼の神なる   主体     
天のお父様」 ⇄   天のお母様」 韓お母様    
(性相的父性) (形状的母性)   ⇅      

                真のお父様=「昼の神なる

                  対象   天のお父様」



このように家庭連合の神学は女性神との結婚により天の父母が顕現するが故に、この女性神は、夜の神でさえも自己の主管に置こうとする神学である。


このように家庭連合は天のお父様を、天の父母様と呼ぶことで、夜の神様の父にして父母という根本的神性と唯一神性を否定して、夜の神様の妻となった女性が神となりこの被造世界を主管するという神学である。
更にはそのような父にして父母であるという夜の神の神性を持つ夜の神の精子も否定し、結局、その夜の神様の精子から来られたイエス様も、真のお父様も否定する神学になっている。
それが故に天の父母とよぶことは夜の神様と真のお父様を否定することになってしまう。
お父様が使わた神は父母であるという神学の意味をまったくすり替えてむしろ神の父母性を消すことに成功している。


また逆に、家庭連合が天の父母様と言うことにアレルギーを持ち、夜の神様が男性であることを主張する余り、夜の神様の父にして父母という神性を否定してはならない。
亨進様・国進様が家庭連合の「天の父母様」を批判されるのはこのような聖霊実体・女性神を認める二元論になっているからであり、お父様が「神は父母である」と言われたことを否定されているのではない。家庭連合への批判であって、お父様の「神は父母である」ということを否定しておられるというような勘違いをしてはいけない。


夜の神様の精子から来られるイエス様、真のお父様が父であり父母であられるのは、夜の神様が真の父母思想とそのみ言を創造された真の愛を中心とした父であり父母であるからだ。


以上、二元論によって異端に陥ちいり、傷つけられた本来の神様の父母性の回復を試みた。


神は父母であると言われてこられた真のお父様の心情とその本質の復権を願って以下に、「神は父母」であるという真のお父様のみ言を幾つか掲げる。
神は父母であるがゆえにご苦労されてきた父母の心情の一端に触れて頂ければ幸いである。


真のお父様の、神は父母なりに関するマルスム集


天聖経から
日本語天聖経2010年版 P1707~P1709
 なぜ神様がアダムとエバを造られたのか分かりますか。神様も、父母の立場で息子、娘を一度愛したいと思われ たのです。それから、アダムとエバと共に、新郎と新婦が愛し合っている愛を一度体験してみたいと思われたので す。(188-214,1989.2.26)


p1155
 海を一つにし、陸地を一つにする、カインとアベルを一つにする統一的真理を教え、日と月が一つとなる統一的真理を教えてくれる方とは誰かというと、神様だというのです。神様は知恵の王です。知恵の王であると同時に、神様は父母なのです。(268-289,1995.4.3)


P1527
 天使長がエバを主管性転倒させたのも、偽りの愛ゆえであり、エバがアダムを主管性転倒させたのも血筋を汚したからです。この血筋を汚した人類を子女としている神様は、父母の立場なので、宿命的な立場であるけれども不可避的な反対の立場です。(302-239.1999.6.14)


P1662
神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。(250-38,1998.10.10)

天聖経以外のマルスムから

 我々が信じる神は、誰なのでしょうか? 我々の父なのです我々のアボジはどのようなお方か? 神は父母の神ですから、死亡の絆に捕らわれた息子・娘を見やるとき、彼らを助けたいのです。
:マタイ福音書 11章1節~9節1960年1月17日(日)前本部教会


それではこれを誰が責任を負わねばならないのか? 神が責任を負わねばならないのか我々が責任を負うのか? 神はどんなに骨が折れたとしても、責任を負われるのです。
 なぜか? 神は父母の立場であるからです。自分が骨が折れるからと子女に責任を転嫁する父母はいません
:開拓者の道 1970年4月12日(日)前本部教会


与えても、与えた後において、誇ってはなりません。神は父母の立場で与えます。父母は子供のために与えますが、与えた後、「私が与えました」と宣伝しません。:御旨の行くべき道(後篇)1971年年1月9日
江原道の江陵教会(全国の地区巡回師達に語られたもの)


すなわち、神は父母なる神であり、人間がその姿に似ることが縦的な愛の関係です。その縦的な愛が横的な愛の関係と一つになって、横的に広がる出発点が夫婦の関係なのです。(1977年1月1日)

それゆえ、アダムとエバの本来の愛の基は何かといえば、神を愛する愛なのです。神は父母であり、アダムとエバは子女であるために、子女の深い心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの愛ではありません。父母に対する愛です。神の心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの夫婦の愛ではなく、父母の子女に対する愛なのです
(中略)
苦労されてこられた神は父母様の立場です。父母の血と肉が染み込んだこの地であることを、先生は知っているので、孝子の道を行かなければならないのです。
:天国創建の意義1986年1月1日「神の日」午前十時ソウル本部教会


カップルを成して授け受ける環境から、発展的現象が展開されるようになっていたのです。それを見ながら成長するアダムとエバは知能が発展するにしたがって、神を中心として、神が父母であり、地上にいる子女が子息の立場になって一つの軸を成すのです。一つの軸となって円形、球形を形成するための理想を出発したのです。
:天国創建の意義 1986年1月1日「 神の日」午前十時 ソウル本部教会

 先生は今日まで、自分の父母のために祈祷したことはありません。先生には八人の兄弟がいました。また母が虐殺されたと聞いていますが、先生はそのために祈祷をしたことはありません。先生の祈りはこの宇宙の解放であって、自分の父母の解放ではありません。先生の前に父母はいません。最初アダム、エバを中心として、神が父母であってこの世に私を生んでくれた父母を父母として考えることができないのです。ですから兄弟もいないのです。その面において先生は徹底して生きてきました。
最後の祭壇 ファミリー1987年12月号 1987年6月14日(聖日)韓国・ソウル本部教会にて

今日、神がいるということを信じている人はいるが、神が誰なのかは知らずにいる。神は父母の中の父母である
天地の大道(第一節 宇宙の根本 1991年8月25日



真の父母の家庭より優れいている希望の家庭ですが、その家庭は何ですか?天の父母と天地人父母に直接侍って生きる家庭は自分の家庭以外ありません。

全祝福家庭たちはアダム完成者の代表の位置で天地父母、天の父母に侍り天の宮法からその国の法を残し教える生活舞台が始まるのです
:2000年10月27日 真の子女の日のみ言


愛する天の父母様、地上の相対的な立場に立った地上の父母を一体化させ、天正宮(博物館)を建て、天を中心とする内外全ての苦痛の道と嘆息の道を除去するために苦労してこられました。
第43回真の神の日 元旦祝祷および神様王権即位式第9周年記念式のみ言の前の祈祷
2010年1月1日/天宙清平修錬苑

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※より深く理解頂くためお父様・亨進様・國進様の御言の解釈に基づく試み、夜の神様・昼の神様に関する原理本性論試論も参考下さい。⬇


原理本性論試論創造本性論堕落論夜の神昼の神


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2017年7月26日水曜日

適正な秩序の王国<全文>2017年7月16日

聖日英語説教:Kingdom of Proper Order2017年7月16日

お願い:当ブログ教会は、宣教と所属教会員のために御言葉をコレクションしています。ご了承下さい。
英日翻訳はサンクチュアリNEWSさんからの転載です。映像は2nd Israelさんです。
いつもありがとうございます。
英語説教は格調高く詳しいです。韓国語説教は言いたいことが集約され、また韓国日本向けになっていますので合わせて読んで頂ければと思います。

2017-7-19 韓国語礼拝『神様の王国の正しい秩序』<全文>



適正な秩序の王国<全文>2017年7月16日 

Kingdom of Proper Order



「適正な秩序の王国」を始めましょう。
へブル人の手紙第一章です。この章はすべてが素晴らしい。
まず半分ずつ一緒に読みましょう。全体を読みます。
多くの内容が語られています。信じられないくらいです。
一緒に読みましょう。ここでも「王国」が語られています。
へブル人の手紙、第1章です。


01:01神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 01:02この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 01:03御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 01:04御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
01:05いったい神は、かつて天使のだれに、
「あなたはわたしの子、
わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。 01:06更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、
「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
01:07また、天使たちに関しては、
「神は、その天使たちを風とし、
御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、 01:08一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、
また、公正の笏が御国の笏である。
01:09あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、
あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」 01:10また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。 01:11これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。
01:12あなたが外套のように巻くと、
これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、
あなたの年は尽きることがない。」 01:13神は、かつて天使のだれに向かって、
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、
わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。 01:14天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。


何と力強い聖句でしょうか。天一国を予示しています。パウロはこう指摘しています。最後の日、王国では、天使は・・・続きはなんといっていますか?


天使は「救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされた」といっているのです。天使はボスでも、王でもありません。天使は「支配者」などではありません。支配するのは、キリストから「救い」を相続した者です。もちろん天使はとても強力です。しかし天使は仕える者であり、支配者の下で使えるのです。ここではあらゆる例をあげています。


いったい神は、かつて天使のだれに、
「あなたはわたしの子」と言ったでしょうか、そんなことは決して言っておられません。聖書は秩序に関しては明確です。最後の部分を見てみましょう。「息子」に関する聖句と、「王国」がここにでています。
「神よ、あなたの玉座は永遠に続き」、「公正」の笏といっています。「公正の笏」は「王国の笏」になるのです。2,3週間前の話を覚えているでしょうか。


「身代わりの償い」と「神様の義」について多くを語りました。誰かを怒らせた、心情的な負債を抱えるというのはそれ自体、神様の前では犯罪です。聖なる裁判官、聖なる神の前では犯罪だというのです。これを論議したとき、犯罪には罰が必要だといいました。神様はただ罪を許すことはできません。罪は犯罪でもあるからです。
もし神様がすべての罪を許されるなら、「正義」が行われません。例えばある裁判官の前に、大量殺人を犯した犯罪者が来て、「本当に申し訳ありません。私が全員殺して、食べました」と言ったとして、裁判官が「ああ、そうか。お前の気持ちは理解する。お前はもう自由だ。サンキュー、ジェフリー・ダマ―」などと言ったらどうですか。すべての人が「問題だ」というでしょう。


大きな問題です。なぜなら、とてつもない罪を犯していながら、とんでもない悪を行いながら、やすやすと赦すなら、国に正義が保たれないでしょう。まったく正義の存在しない、ギャングが支配する無法地帯と化すことでしょう。不幸にもこの国はそうなっています。


特に、オバマとヒラリーのもとで。要点は、神様は正義のお方であるがゆえに悪を赦すことができないのです。正義の神は「罪」に対して何らかの「償い」が必要になるのです。その人間に対して神様が悪感情をもった、などという話ではないのです。正真正銘の犯罪なのです!
罪の問題をよく理解し、因果応報の問題、身代わりの償いについてよく考えるなら、それらを深く理解すればするほど、なぜ、神様が・・・最後にお父様の訓読会のみ言葉も紹介しますが・・・お父様は強力なみ言葉をこの問題に関して語っておられます・・・劉師もずっと語っていましたが、神様が一旦、法を作られたなら自由にそれを破ることはできないということです。神様は正しい、正しいお方です。「そういう事情なら、その法は無視して・・」などとはいかないのです。神様もご自分が立てた法を守っておられます。だから途中で介入して人間の犯罪を止めることができないのです。このように神様は御自身がつくられた法を守っておられます。


神様は正義のお方です。それゆえに罪に罰を与えなければなりません。罪は罰せられ、犯罪は処罰されなければならないというのです。王国に何らかの正義が必要ならそうしなければなりません。
ここで話を数百年前にさかのぼりましょう。キリスト教の教父たち、キリスト教の思想家の話です。というのも現代のキリスト教世界にも当時の二つの考え方が引き継がれ残されているからです。「贖罪」についての理論と考察です。この「贖罪」について理解を深めるにつれて、イエス様とその苦難の路程をより深く理解できるようになります。また再臨主、再臨のイエスであるお父様についても、理解が深まるのです。異なる視点が与えられる。


お父様は蕩減路程を歩まれました。メシアがなぜそこまでの苦難の道を行かなければならないのかということの理解にもつながります。お父様を本当に愛するのならこれは重要な問題です。神様は何故、キリストをそこまで追いやらなければならなかったのか、ということ。これは「贖罪」について理解を深めるとき、よりよく理解できることなのです。
「償い」は「身代金」と見る説が原始教会では支配的でした。このパウロの手紙から原始教会の教父たちがアイデアをたくさん得ました。キリストの死が「贖い」にたいする「身代金」に当たると考えたのです。讃美歌でもあるでしょう。『キリストは私の「贖い」として「死んで」くださった・・・』こういう曲があるでしょう。


その思想は、最初の頃の教会から出ているのです。イエス様がなされたことは、初代教会の人々そして人類を贖うための犠牲だったと。
もちろんキリストが全人類のために支払った犠牲の価値を思うのは重要なことです。


わたしたちのキリストとの心情的つながりを強めてくれます。子供との関係を考えてみて下さい。子供たちがあなたに感謝して、それを言葉にするとき、気持ちが良くないですか。本当に恵みを感じることでしょう。親としての行い、その助けに感謝して、記憶に留めていてくれる時、「何と神様は素晴らしいお方だ!」ということでしょう。


もちろんその逆もあるでしょう。反抗的になるときは地獄のようでしょう。しかし、あなたが、子供たちが恵みを受けるために払った犠牲について子供たちが思い起こし、感謝し、認めてくれる時、あなたも感謝するでしょう。実際、多くの子供たちは、親の払った犠牲を感謝することもなく甘やかされ駄目になっているのです。


神様との関係においても同じです。なぜ神様がそこまで苦難を受けられたのか、それについて私たちが理解しようと深く深く、神様の深い内容に思いを致すとき、わたしたちはその時、路程に感謝して、認識しているのです。もちろんそれは不十分な、不足なもので決して完璧とは言えませんが。お父様がわたしたちのために歩まれた生涯路程を完全には理解できないのです。文字通り、すべての瞬間を私たちのために苦難の道を歩いて下さいました。10億の何兆倍のそのまた何兆倍もの苦難です。私たちはその全体を理解することなどできません。しかしその苦難の理由、背後の心情、심정、それを介して少し理解できるのです。


原始教会では人々のためにイエス様が受けた苦難は、サタンに対する「支払い」だと考えられていたのです。サタンへの代償、「死」への代償と。聖句の3行目を見てください。アダムとエバは堕落によって文字通り悪魔に人間を売り渡した。基本的に売り渡したのです。


堕落して神様から離れた結果、未来への血統、未来の文明、人類の未来などすべてをサタンに捧げ、売り渡したというのです。そして現在、サタンが全人類にたいする所有権をもっています。


その結果、「正義」はわれわれをサタンの所有から解放させるためには神様はサタンに「身代金」を支払わなければならない。人間が未熟だから、またサタンに人類を売ったという信じられない犯罪を到底自ら支払う手立てがないのです。だから神様が歴史に現れて、介入されて、しかも肉体をもった姿で人間として現れるというのです。堕落が肉的だったので、神様も肉体をもって。地上の神の国という文明が、その実体が(サタンに)売り払われたのですから。だからこそ神様は、肉体をもって介入されるのです。なぜなら、王国は現実に建設されるべきだからです。だからこの見方によると、支払いを受けたのはサタン、であり「(霊的)死」そのものが身代金を受け取った。この説と似ているものに「受取人は神だ」というものもあります。これによって堕落の結果、人類の魂に対する負債が解消された、満たされたというのです。ある意味、懲罰がなされたとみるのです。壊されたものが修復された。ここで「満たされた」という言葉の意味はそういうことです。罪の結果として人類の魂がかかえた負債は解消した。面白い考え方です。こちらを見てください。


神様がキリストを代賞とサタンが受け取るように策を仕掛けられた。神様が悪魔に一杯食わせて、神の子であるイエス様を、人類を悪魔に売るという罪の身代金として受け入れさせた。しかしサタンはキリストが「死」に支配される方ではないということを悟らなかった。墓から蘇られるお方です。死んだからと言って終わる方ではないのです。しかしひとたびサタンが「身代金」としてキリストの死を受け取ったなら、「正義」はなるのです、たとえサタンが策に引っ掛かっただけだとしても!たとえ霊界にいたとしてもイエス様が摂理を前進させ、「正義」は成就され神様は人類をサタンから解放することができた。ここでいう救いはあくまでも霊的救いです。まさにこの点を、私たちが成約時代の観点からキリスト教徒を一段下に見てきた点でした、「あなた方はまだ完全に救いを受けてはいない」こう言って。だから私たちはこういう思い込みを持っていました。


「キリスト教徒は救われていないが、われわれは救われた」。
しかし原理の観点から見て必ずしもそれは正しくありません。キリスト教徒は霊的救いを受けています。救われているのです。異教徒のように霊肉共に救いを受けない者たちとは異なります。キリスト教とは霊的救いを受けているのです。異教の儒教や仏教の背景をもった、多くの(韓国の)長老からある文化が生じました。だから自然に理解できないことだったのです。しかし現実に、(統一教会は)キリスト教やキリスト教徒をさげすむような文化をもちました。しかし彼らはわれわれの信者仲間であるだけでなく、救いを受けた者達なのです。しかも同じ唯一真の神様に仕えています。


とても大事なことです。「キリスト教徒は、神様の苦難を分かっていない」と(教会内で)話すのをしょっちゅう耳にしました。しかしキリスト教徒が、キリストの受難についてのキリスト教神学を語るときの心情は、すべて神の苦難を思い語っているではないですか。
イエス様が十字架に向かい、十字架を背負い、十字架に釘付けにされる。そして神様に「どうして私を見捨てられるのですか」と叫ばれる。これらすべては神様の受難ではないですか。キリストの受難(The Passion)とは文字通り「苦難」を意味します。


ここでみる原始教会の見方の要点はこの「支払い」はサタンへの支払いだということです。サタンが人類に対する所有権を握っているのだから、当然「支払い」を受けるべきだと。そしてこれこそ、世界文明を築き、世界を導くキリスト教の全活動の根底に流れるものです。こうして新しい神中心の愛と倫理が生まれたのです、そしてそれがいま、女性や子供を守っているのです。これが人類を抑圧から解放し、霊界のサタンから解放する願いの基礎だというのです。地上ではサタンに支配された人間が抑圧をおこなっています。サタンから人類を解放するすべての願いは、この「サタンから人類を解放するために神は何を為されるべきか」という初期の思索に結びついているのです。この思想は数百年の時間の経過とともに幾度となく再検討されました。興味深いことに、11世紀から13世紀まで、トマス・アクィナスなどの人びとがさらに深い思索を重ねこれを検討しました。しかしいつも結論はそれまでのカトリック教会のものと同じでした。皆さんも見たことがあるでしょう。トマス・アクィナスなど修道士の絵を。実際、トマス・アクィナスはドミニコ会の修道士でした。この贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )についての彼らの検討は非常に深いものでした。しかし結論は結局、社会学的結論、つまり「それゆえに中央集権的カトリック教会が核心的に重要であり、それ(カトリック)こそ地上天国だ」というものでした。その時点から天使長的であったと考えられるのです。だから権力ピラミッドの頂点に君臨するカトリック教会はトマス・アクィナスをとても持ち上げるのです。アクィナスに聖人の位を与えドミニコ会修道士を一番に持ってくるのです、つまり彼らの神学をカトリックは愛しているのです。トマス・アクィナスが神の受難に関して、キリストの行動に関して真摯に思索していたとしてもカトリック教会にとっては関係ないのです。


またアクィナスの前に、カンタベリーのアンセルムス(生年1033年)がいます。キリスト教弁証学を学ぶとわかりますが、神の存在に関して存在論的議論を加えた人です。これはしばしば無神論者との討論で用いられます。彼はカンタベリーの司教でもありました。またこの贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )は彼が初めて唱えました。


ここでは「満たされる(gratification)」ではなく、損害賠償を「満たす(satisfaction)」ことが問題とされます。壊されたものは弁償し、奪われたものには支払うという考え方です。神様は正義の神なので、正義に対する侮辱は償わなければならないというものです。神様は公平で平等なお方なので神様の正義を侵すとき、公正に対する侵害、正義に対する侵害、平等に対する侵害、等々は償う必要がある。これは不正義に対するバランスをとるという法的な考え方にも関連しています。これによると罪、特にアダム、エバの罪は、主権を売り渡したということ、ここで主権というものは非常に大切なものであることを強調しておきますが、これは同時に、法的な考え方、つまり犯罪があったので正義の回復のためそれは償われなければならない。だからここにいる人もインターネットを見ている人も、サイコパスでない限り、「その悪(ワル)は許してやれ」などと言うことはできないのです。そのような国には正義が存在しません。それゆえ、正義は犯罪に対して償いを要求するというのです。法的バランスの問題です。ここでカンタベリーのアンセルムスについて見ることにしましょう。彼の代償理論です。


アンセルムスによれば、われわれは神の「名誉」に対して負債を追っているといいます。彼が、犯罪には償いが必要だということを理解していることを示しています。アンセルムスの観点によると私たちは「名誉ある神に恥辱をもたらした」というのです。神様は真に名誉あるお方です。誉(ほまれ)と尊敬と称賛に値するお方だというのです。われわれの罪、犯罪によって、それは罰せられなければならないと同時に、さらに一歩進んで、その行為によって神様に不名誉をもたらしたとするのです。つまり私たちは犯罪により償わなければならないのはもちろん、その上に、称賛されるべきお方に対して不名誉をもたらしたという犯罪を行った事実があるというのです。分かりますか。


だからこれは単なる、支払い、未支払いの問題、犯罪と刑罰の問題ではないのです。その上位に神様の心情を観なければならないというのです。神様は恥辱を与えられ、深く貶められたのです。深い深い傷を負ったのです。これは人間と天使が神様に対して負った負債であり、この負債を償却しないものは罪とを負い、これを償却する者は罪を免れる。これは義、あるいはみ旨の正しさであり、これが人の心を正しくさせ、正義をもたらす。これが、私たちが神に負う、神の名誉に対する完全で唯一の負債である。そして神はそれをわれらに求める。この負債を神に返すことができなかったので、本来の正義を回復するには不十分であり、神の名誉に対する罪(その負債)も満たされなければなりません。


だから自分の娘を殺した人間が「自分は20年の刑期を終えた」というだけでは、あるいはその代償を支払うだけでは済まないのです。その関係において再び調和を取り戻すためには、代償だけでは十分ではありません。悔い改めて面と向かって「申し訳ありません」と言って許しを求めることができなければならないのです。例えば誰かが自分の家族に対して犯罪を行なうとき、仮に家の一部を壊されたとしましょう。あなたは訴え、その弁償として200万円受け取ったとしましょう。しかしその過程で、心理的ストレスなど他の損害を受けています。例えばそのせいで離婚したり・・・。その犯罪によって派生した問題を抱えたりすることがある。その犯罪だけに限定されるものではありません。      
翻訳:ここまでサンクチュアリNEWS管理人ここからBANBOOS


イエス・キリストと再臨のイエスである真のお父様はそのような犯罪のために蕩減を払っているということではないのです。確かに犯罪には罰が必要です。彼らは実際そうしています。しかし、同時に彼らは私たちが罪を犯し、冒涜し、侮辱してしまった神様との関係性を復帰するために(蕩減を)支払っているのです。私たちが気づくことなくキリストが支払っているまったく別の層があります。原理的な考え方でいうところの心情の世界のようなものです。クリスチャンは普通それが分かっていません。彼らはただ賠償の償いや支払いといったものとしてしか捉えていません。もっと進んだ見方をしたとしても、犯罪と罰というものです。彼らはまだ神様の観点から心情的な世界でそれを捉えていません。「神様がとても冒涜された」「神様がとても侮辱された」と。


これに対する反対者は古典的に「神様はケチだ。神様はまったく中世ヨーロッパの封建制の王様のようだ」といつも言っていました。そうではなく、主権というものを理解するなら、天一国でも自由市場の中での評判が絶対的に重要なものです。あなたの名誉が絶対的に重要です。つまり、あなたが誰かに仕えれば他の人もそれによって信頼してくれるということです。


ですから主権という点で、これについて「神様は封建制の君主だ」と言ってぶつぶつ文句を言う人々は、罪(原罪)というものが罰を受けるべき犯罪であるという事実が抜け落ちているのです。しかし同時に、誰かを侮辱することは、そしてその人がそのことで侮辱されたと感じることは、狭量なのです。


さて主権という観点で、あなたの家庭の尊厳を保ち、あなたの王権の尊厳を保ち、氏族の血統の尊厳を保つということは、絶対的に非常に重要なことです。それは天一国において王の血統の未来に直接の影響をもたらします。そして誰かが私たちをひどく侮辱して、私たちもとても侮辱されたと感じたとして、その人物との関係を復帰するために―私たちはいつでもそのような人を無視して切ってしまうこともできますが―しかしその関係性を復帰するために何が必要かと言えば、その人物が許しを乞わなければなりません。あなたの家庭に与えた損害を返済するだけでは十分ではありません。彼らはその関係性を復帰するためには実際に「申し訳ありません」と言わなければならないのです。それで私たちは関係を持ったレベルになれるのです。


その犯罪に対して償いをすれば気持ちも和らぎ損害に対する補償も得て法的には問題ありません。しかし、それでもその人が今あなたの友人であるということにはなりません。親しい友人だと言うことはできないのです。聖書ではキリストはどんな兄弟よりも近い存在だと言っています。


その関係性の本質を復帰するためです。その犯罪に対する罰だけでなく、(天の)父と人類との間に意図されていた関係性における本質、調和のためなのです。そこにはそのための償いもなければなりません。私たちは多くの場合これを見落としているのです。お父様の苦難の路程・・・。


家庭詐欺連合は、お父様が彼らの犯罪に対する罰も償わなければならなかったということを理解できるレベルにもありません。彼らはそれを理解していません。私が話しているのはまた別のレベルで、お父様は実際全人類の罰に対する償い、すべての堕落、堕落行為、堕落した文明などのために蕩減をしなければならなったということを理解するということです。しかし同時にお父様は、ただ返済するのではなくそれを恨みのない本来のものとして復帰しようとしているということです。お父様は関係性と心情のレベルを全く恨みのない状態に復帰しようとしているという話です。不正を行い侮辱されるという感覚もありません。


私たちは、キリストが通過し償わなければならなかったことを熟考し理解すればするほど、それが初期の教会で見られたような単なる賠償ではなかったということになります。それも重要な要素ではあるのですが、それがすべてではなかったのです。


神様の苦難の路程には多くの層があります。それは私たちが解放され、祝福を受け、王国で暮らし、それに向かっていくことができ、主権を持つことができるようにするために神様が歩まなければならないものです。これらはみな自分や他の人から来るものではなく、ただ神様が受肉して来られるキリストから来るものなのです。劉先生が先週ずっと語っていたように地上における実体的な神様、神様の実体的な体として来られる方です。神様が世界で働かれる渦の中心点があります。ある点があります。神様が地上で働かられる一人の男性がいるのです。もちろん私たちはその方と共に歩みました。


「その負債は道徳的宇宙で不均衡を生み出しました」
その負債は法的な世界でだけでなく、道徳の世界で不均衡を生み出したと言っていたことに注目してください。なぜなら神様も道徳的な存在だからです。宇宙は数学的にだけ作られたのではなく、それは道徳的な宇宙です。なぜなら神様は数学的な宇宙をその道徳性で治めるからです。神様は道徳的存在であり、善なる方です。正義であり高貴であり、愛です。存在論的な観点で、考えられるあらゆる宇宙において最大限に優れた存在です。


負債が不均衡を作り出すとあります。道徳的な世界における不均衡です。私たちサンクチュアリの人が人々と話しに行こうとするとき、乱暴で 闘争的だとみなされ、何をしようとしているのかと言われます。私たちは彼らが神様と自分たちの間でひっくり返したバランスを復帰しようとしています。私たちは彼らが、神様との関係性で自分自身を正しく見つめ、彼ら自身ではなく神様をすべての賛美に値する方として正しく関係を持つことができるようにするために、彼らがバランスを取り戻すのを手伝おうとしているのです。


ですからもちろん人々に真実を話し、彼らを愛することができるのです。もちろん皆さんの多くが初期の頃からそれを経験しました。昨日もそうでした。人々に嘲笑され、無視され、逃げられて。


あらゆる人が私に、お願いだから天の父母様の名前で祈ってくれと言っていたことを覚えています。私はスタジアムで代表祈祷をしなければなりませんでした。3万の人がいる中で祈祷しなければならず、あらゆる人がお願いだから天の父母様と祈ってくれと。お父様の聖和の儀式の後、すべてのことが終わって、それから私は檀上に上がり、もちろん「敬愛する最愛の天のお父様」と祈ったのです。


私が天のお父様と祈ったとき、まるでそれは致命的な罪を犯したことのようになりました。リーダーたちはみな真っ青になりました。天のお父様と言っただけで。


そして私たちは彼らがクーデターを起こしていることが分かっていました。裏で私たちを殺そうとしていたのです。なぜなら私たちが彼らのロビー活動の制度、共産主義の制度を破壊していたからです。お互いをかばい合い小さなロビー活動グループを作って、できるだけ多くのお金を盗もうとしていたのです。彼らはなんとタッグチームを作っていました。


お父様と一緒にいたとき、お父様は私に夜一緒にいるように言われ、それがどの程度のものか分かりました。私がいつもそれほどお父様の近くにいたのは、いつも人々が様々なチームを組んでお父様の場所に侵入して来るからでした。巨文島に行くとき彼らは別々のチームに分かれていました。私は船で一つのチームと一緒にいなければなりませんでした。彼らはいつも文字通り何かを得ようとしていたので、私はお父様のすぐ横で寝なければなりませんでした。


そして私たちはそれが日本の兄弟姉妹に負わせられることが分かっていたのです。そのような騒ぎの中で私たちは違った意見を出そうとしていました。それで12時間とか時間が経って日が沈むと、今度は別のチームが待ち構えているのです。「お父様、今日は忙しすぎて船に乗れずに申し訳ありません」と言って(笑)。それでまた6-8時間の警護活動が始まるというのです。それは馬鹿げたことでした。


しかしそれが悪の本質であって、彼らはお互いに共謀し協力し合って悪事を働き、だまして搾取するのです。お父様はこれに気づいておられないわけではありませんでした。彼らの本質を知っていたのです。しかし、お父様は神様と全く同じようにサタンも使われたのです。


最終的にお父様は自分のなさっていることが分かっておられました。韓お母様が裏切ることを知っていたのです。詐欺師たちが完全に正体を現すように仕掛けていたのです。彼らは3、4年のうちに詐欺を働いていました。


しかし負債の不均衡があり、神様に支払われるべき正義の負債を償い、神聖な名誉に対する損害を賠償するために、人として人のために実行する永遠の偉大さを持つ存在のためにその負債を賠償する唯一の方法として宇宙の中でそれが作られています。


お父様の苦難の蕩減の路程を見たとき、それはすなわち神聖な名誉を復帰しようとする路程であり、神様の神聖な名誉に対する損害を取り除こうとする路程であるということなのです。それによって刺激を、真のお父様の力強い意志を感じさせるような最適なニュアンスが与えられるのではないでしょうか。


確かにお父様は人類を救いたいと思っておられますし、堕落してしまった者たちを救いたいと思っておられますし、神様に対して犯罪を犯した者たちを救いたいと思っておられます。しかしそれに加えて、お父様は数え切れないほどこれについて繰り返して語られ、もちろん恨みも苦痛も憤りもない神様との関係性を復帰しようとしていましたが、それだけでなく、神様が傷つけられた神聖な名誉、すべての天使たちと被造世界の前の偉大な名誉もそうだというのです。


これらの天使たちは神様と共にすべてのものを創造するために働きました。あらゆるもの、数学と方程式といったすべてのもの、宇宙を作りました。神様は自分の姿に似せた存在を創造しようと言われ、彼らが成長して素晴らしい存在になって王国を支配し、君たちも支配するのだと天使長に語りました。すると彼は、それがあまり気に入らない、いい考えではないと言ったのです。神様が人間を創造すると、「この愚か者たちが我々を支配する?そんな馬鹿な。あの馬鹿は湖で飛び跳ねてカエルを捕まえているのに。彼らは我々を支配できない。我々は空を飛べるし、あれもこれもできるし、翼をはためかせて交響楽を奏でさせることもできる。あの男は能無しだ。彼は汚れて木の周りで遊んでいる。彼は狩りや釣りに忙しい」と言ったのです。


「いやいや、待ちなさい。あれは私の子供だ。彼は支配するし、立派にやるだろう」(神様の言葉)
天使長の立場から考えてみてください。「神様は狂っている!我々は彼のために宇宙を支配しなければならない。我々は哀れみ深く賢いので神様のためにそうしなければならない」
見てください。その負債を賠償する唯一の方法。神聖な名誉に対する損害。アダムとエバが堕落したとき、天使長は「この人たちは何にもなりません。あなたを悪くみせます。この愚か者たちはだめです。私たちのほうがずっと良いのになぜ彼らに与えるのですか。そして彼らは堕落しました」と言うのです。


この絶え間ない長広舌の非難。「神様は彼らがとても立派になると言ったのではないですか。私は彼らが立派になると聞きましたが」といったようなことです。もちろんこれは普通の人に対してではなくて、その役立たずの者を創造した、そのAI-天使長を創造した完璧な宇宙の創造者に対してのものです。彼らはまさにそのようなAIのようなものではないでしょうか。彼らは私たちよりも早く計算も数学もできますが、結局悪になり、まるでAIのように私たちを排除したいと思っています。そこには同じ精神があります。


西洋では多くの東洋の国があるために変わりました。他国民がやってきて・・・彼らにとっては家族の名誉が非常に大きいのです。西洋では個人主義などのためにそれはあまり重要ではありません。インドから来たシーク教徒の家族に会ったり、アジアの日本人、韓国人、中国人に会ったりしてみれば、彼らはもっとそのような傾向があります。家族の名誉を汚さないことが非常に大きな問題なのです。


ここで神様の名誉について考えてみると、非常にたくさんの投入があります。何百万年という歳月を考えてみるなら、もしかしたら神様の心の中で熟慮することがあったかもしれません。「この愚かな者たちに自由意思を与えるべきだろうか。もしそうしたら彼らはめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。もしかしたら彼らをロボットのように作るべきかもしれない。彼らを天使長のようにすべきかもしれない」と。


重要な点は、神様がそれについて考えて非常に大きな選択を、重大な決断を下したということです。宇宙の完全な道徳律の中で神様は重大な決断をしました。それはつまり、彼らを似姿の子供として残し、自由意思を持たせて神様か神様からすべてを盗んだ者であるサタンのどちらかを選択させるということです。


お父様が神様の恨について語られるとき、サタンの讒訴について話されています。私たちがお父様にもたらされる恥という文脈を心に留めておかなければ・・・お父様が非常にたくさん投入されたこと、自分の持てるものをすべて与えて、子供たちは立派になると公的に宣言され、そして彼らはすべて失敗しています。それはお父様の名誉にとって非常に大きな問題です。


劉先生と話しました。人々は私たちにお母様を救わなければならないと言います。私たちはお母様と同調しないことによって彼女を救ったのだと彼らに言いました。カインとアベルが彼女と一緒に行かなかったので、彼女が帰って来る道があるのです。真の母としてではなく、私たちの子供たちのおばあさんとして帰って来るということです。
私たちがそうしておらずにこのばかげた異端に同調していたなら・・・それはこの3、4年で誰もが分かったようにひどい異端なのです。家庭詐欺連合の人々も、「今のお母様は好きではない」と言うのです。全く非原理的なことを言っているのです。


その短い期間で彼らはその異端の本質を既に見てきたのです。私たちが何年も前に言ったように、女神信仰は必ず女性の搾取に結びつきます。権限の付与ではありません。そのように受け入れさせられますが、若い女性の搾取へと結びつきます。なぜなら、女神が崇拝の対象となるや否や・・・。その女神は今、父の神と競争しているのですが、女神はあることを自由市場に提供できます。あらゆる他の異教の神々と競争する中で、彼女はセックスを提供できるというのです。


ですから女神信仰は常に多産と若さを中心としており、大きな胸と尻、裸の女性が常に多産の中心です。あなたを愛する女神の愛の性質が、あらゆる豊かさと多産の祝福を与えるというのです。


それが現実の世界で時代を超えてどのように実現したでしょうか。あらゆる文明で絶えずそれは同じように女性を売ることに結びつくのです。神殿娼婦に結びつき、「あなたの娘を捧げなさい。そうすれば家族の大きな栄光となります」と告げるばかげた祭司を、狂った市民が信じるようになるのです。アシュラでもイシュタルでも、アフロディーテでもビーナスでも何であっても、彼女がその女神を代表するのだと言って。それは皆同じく愚かなことです。ヒンズーのヤラマでも同じです。
そして男はその神殿娼婦を得るために大金を払います。それはビジネスなのです。ですから神様は父です。OSDP(原理本体論)でもはっきりしています。神様はそれが好きではありません。なぜなら良い父親が皆そうであるように、自分の娘がレイプされ売春婦として売られるのを見たくないからです。


例えば審判が無いとしてそこには何もありませんでした。家庭詐欺連合が導こうとする軌道は、お分かりのように既に彼らの言うところの祝福を見つめさせようとしています。ばかげたことです。上層部のリーダーたちは皆100パーセント左翼の狂った相対主義者です。彼らは原理など屑同然だと考えています。あとどれくらいでリーダーたちが幼い子供搾取するに至るまで堕落してしまうでしょうか。正に悪魔崇拝そのものへと。


「イエスが聖句で述べている賠償金とは、父に対してのみ支払われる負債のための犠牲となるでしょう」
もう一度言いますが、サタンに支払われるのではなくお父様に支払われるということです。


劉先生が立ち上がってくれたことを本当に称賛したいと思います。彼は韓国でやっていましたが、(米国)サンクチュアリに初めて来て、今回公に人々か彼に会います。國進兄さんや私とも。彼はこれに対して多くの非難を受けるでしょうが、彼の決心は堅いものです。彼はこの控室に来たとき、私が真のお父様、天地の王の王から命じられたように、喜んでOSDP(原理本体論)を六大陸で講義するつもりだと言いました。
ですからこの「不正な」教材が世界の各地で広まることになるでしょう。良心を持ち、神様のみ言葉を聞くことを渇望するすべての兄弟姉妹達は、変わるかもしれません。神様のみ言は(人を)変えるのです。翻訳チームのアンドリュー・ラウズバーグとティム・エルダーに拍手を送りましょう。素晴らしい仕事でした。王国の愛国者たちが皆ここに集まっています。


天聖経72ページ(英語版)を読みましょう。
自分勝手にする神様ではありません。法を立てたならば、永遠なる方が制定した法は永遠のものです。自分が立てたものを自分勝手にしないのです。
それに順応して越えていこうとするその神様の権威、それが驚くべきことなのです。公義を立てるにおいては、すべて天理の原則にかなう公法を立てるにおいては、絶対に神様がまず踏んで越えていったのちに、万民が従うようになっていて、宇宙が従うようになっているのであって、それを2番目にすることはできないのです。そのような人間創造の理想的基準があるのです


今日の日に神様に栄光を捧げ、神様が私たちをサタンから解放させて、神様との心情関係を復帰するために支払わなければならなかったものについてじっくりと考えましょう。

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