2015年12月21日月曜日

2015年12月20日、クリスマス礼拝英語説教 文亨進님 


2015年12月20日、クリスマス礼拝英語説教 文亨進님

<要約文>

私たちは宗教を追求しているのではありません。神様との関係回復を目指しています。最も重要なことはキリストとの関係です。 世界中のサンクチュアリ教会をコントロールする気などないと私が言うと人々は「王国を築くのではなかったのですか?」と言って驚きます。私たちは王国を作るのではなく、王国に向かって行こうとしているのです。私たちは中央ですべてを統括しません。わたしたちは『競争原理』を導入しています。細かいことにまで干渉し監督する必要がありません。私たちには全能の神様、王の王であられるキリストがいらっしゃるではないですか!キリストこそ王なのです。    私は神様の友になりたいのです。あなたたちを貶めることで哀れな姦淫者である自分を高めようとしているにすぎません。  神様を祝い礼拝するとき私たちは何をしているのかといえば神様との関係を築いているのです。キリストは何を望むでしょうか?キリストと関係性を築く人々を望むのです。あなたをねたむ愚か者が問題ではありません。問題はあなたとキリストです。それが礼拝です。神様と私です。神様を礼拝すればより善になります。礼拝では歌が上手い下手が問題ではないのです。神様を讃美しているのかどうかが問題です。

日本語訳by Oceanus
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<全文>

クリスマスを迎えようとしている今日。素晴らしいときです。

ところでイエス様の本当の誕生日が12月25日でないことはご存知でしょう。実際は異教の祝日でした。キリスト教徒は礼拝を見つかれば殺されるので異教の祝日と同じ日に礼拝をおこないました。つまり異教の神を礼拝しているように見せて、イエスに礼拝を捧げたのです。こういうわけで12月25日はイエス様の本当の誕生日ではありません。

聖書ではルカ書の2章でこう言っています。

…、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

イエスの誕生日についてジョナサン・カーン(訳注:ラビ、牧師。ハービンジャーの著者)が詳しく調べています。それによると、羊飼いが夜、野宿しながら羊の群れの晩をするのは1年に一度、羊の出産時期です。牧場を経営している人はわかると思いますが、その時期は1年に一度、エルサレムでは3月か4月です。ですからほぼ春の初めだと言い切ってかまわないでしょう。ジョナサン・カーン氏はユダヤ教のラビでもあるのでイスラエルの風習に通じています。その彼がイエスの誕生日は春の最初の日だと推定しています。新緑がめばえすべての命が再生する時期にイエスが生まれたというのです。

ですから12月25日はキリスト教文化の上での祝日であって、本当の誕生日ではないということです。それは間違いないことです。

イエスについて、キリストについて考えてみたとき、彼は霊的救いのために死んだことが分かります。彼を信じるものが永遠の命を得るために、すべての人類の罪を担って死にました。私たちの罪のために彼の血が支払われたのです。十字架上で流された血によってわれわれの罪が許されたのです。皆さんの中で罪のない人はいますか。

皆さん正直ですね。今まで一度でも嘘をついたことがあるとするならばそれは嘘つきです。フルーツケーキや飴、チョコレートなどをお母さんの目を盗んで食べたならば、それは盗人です。こうなると私たちは全員、罪人ということになります。また情欲をもって自分の配偶者以外の人を見るとき、それは姦淫であるとイエスは言いましたね。「ああ、なんと素晴らしい人だ、一緒にいたいものだ」と思ったことのない人はいますか。韓国ドラマなんてそればかりでしょう?男性ばかりではなく女性も、ドラマの中で作り上げられた女性化した男性に対してうつつを抜かすでしょう?私たちはこのように嘘つきであり盗人であり姦淫者だというのですだから神様の前に義なるものとされるには私たちにも「救い」が必要だというのです。神様の周りには罪のかけらもないからです。

宗教者はよくこう言います。「あなたよりも私の方が神聖な人間だ。あなたは自分の人生をだめにしている。なぜならあなたはこんなことをし、あんなことをしているから…」。そういう彼らも罪人なのに。

私たちは宗教を追求しているのではありません。神様との関係回復を目指しています。イエスはカトリック教会や聖公会などの宗教を作るのが目的だったのではない、と何度もお父様は仰いました。イエスは生きた神様として人間と神様の関係を回復させるために来られたのです。だからクリスマスにキャロルを歌ったりすることが問題ではありません、それは宗教です。単なる宗教活動、宗教儀式に過ぎません。最も重要なことはキリストとの関係です。

イエスは組織を作ったのではありません。中央集権のピラミッド型組織を作りませんでした。逆にそうしようとする人々を排除しました。ローマ帝国に奉仕する両替商をどうしましたか。蹴り上げたうえ、鞭で追い払ったのです。当時の鞭をご存知ですか?先がいくつにも分かれているのです。それでもって、文字通り20人以上の両替商を打ちのめしたのです。イエスも闘い方を知っていたということです。総合格闘技を知っていたのではないでしょうか(笑)。

人はイエスをあまりに女性化してきました。弱々しく語る方ではなかったということです。罪に対しては激しい人でした。キリストの力強さを理解すべきです。私たちは罪を持ったまま神様の前に出ることはできません。キリストを通して、キリストの流した血の代価によってキリストの霊的救いだけでなく血統、聖書でいう「キリストの種」を受け継ぐというのです。これがこの世とわれわれを区別するものです。「あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。(1ヨハネの手紙4-4)」ということです。キリストとの関係が大切だということです。では統一教会ではどうだったか。

ほとんどの人はお父様と会ったことのない人たちです。お父様の近くで暮らしたことのない人がほとんどです。天使長の下で暮らしていました。「お父様がこうしなさいと言っていますよ」という韓国幹部のもとで信仰生活を送っているのです。

だから私が食卓の上で子犬を走らせ、お父様の型に鳥をのせたりすると、宮殿でのエチケット違反とされたのです。そんな愚かしいルール、馬鹿げた規制をだれが作ったのでしょうか。

真の子女がお父様と自由に関わることまで介入するのです。それは天使長たちであり韓氏オモニであったのです。オモニの堕落を見ました。言うのも辛いことですが、これが現実だから仕方ありません。

先週、ニュージャージーのいくつかの家庭と食事を共にしたのですが、ニュージャージーは共産化されたかと思いました。(訳注:ニュージャージーには米国家庭連合最大の教会クリフトン教会がある)だから急いで自由の地に戻ってきました。

お父様は荒野の人でした。アマゾンのジャングルに15年間いたのです。ジャルジンに行ったことのある人はいますか。建物が建つ前ですか、建った後ですか。建った後に行った方はかなり快適に過ごせたことでしょう。しかし以前はジャングルとアナコンダ、クモとこんなに大きな蚊がいるだけでした。生まれて初めてあんなに大きな蚊を見ました。

いたるところにいるのです。決して快適なところではありません。エアコンの効いた生活を送っている者からすれば、年がら年中、気温50度、湿度120%かと思うほどです。

お父様はそういうジャングル、または危険な大海原での生活の繰り返しでした。公海での釣り、アラスカでの釣りを経験した人は分かると思いますが、それはとても危険なことものです。命を失った人も大勢いるのです。そのようなところに90歳を超えてもまだ行かれていました。お父様はヘリコプター事故の後では満足に立つこともできませんでした。アウトドアがただ好きだからという理由でできることではありません。お父様の生き方を見てください。常に体を荒野(ミドバー)に置いておられました。ミドバー、神様のみ言に出会える場所です。自然に快適であることを求めることはできません。自分の好きに制御できないのです。天気、風、動物、何が現れるかわからないのです。それに対応しなければなりません。

また韓国人幹部が自分の砦を築こうとするのをお父様はことごとく崩してきました。それが黄であれ郭であれ朴であれ金であれ…。お父様は無作為に人事されました。組織作りを考える人がそのようなことをするでしょうか。突然に無作為人事で入れ替えるのです。ふつうそのようなことをすれば組織が崩壊してしまいます。

お父様の狙いは彼らが権力を自分に集めようとすることを挫くことでした。

世界中のサンクチュアリ教会をコントロールする気などないと私が言うと人々は「王国を築くのではなかったのですか?」と言って驚きます。韓国人幹部などのような詐欺師を作らないために、神様と共にあるためにそうしているのです。自由にするのです。私たちは王国を作るのではなく、王国に向かって行こうとしているのです。





ニュージャージーで(サンクチュアリは)自由と責任で運営するのだと話したとき、聞いていた人達は驚いていました。「では油を注いだ責任者が道をそれたらどうされるのですか?本部にそういう報告がいけば懲戒はするでしょう?」こう聞かれました。


いいえ私たちは中央ですべてを統括しません。わたしたちは『競争原理』を導入しています。例えばですよ…南極にシロクマの教会があったとしましょう。そこの一匹のクマから今の教会長は圧制を敷いています。カトリック教会でも作る勢いです、という報告が来たとします。私たちはこう言うでしょう。「ほかにも油を注いだ別のクマさんがいます。良く教会員の面倒を見ています」。こうしてほかの責任者を紹介するだけでメンバーは彼らを愛し神様を愛しお父様を愛する人のもとに行って集うことができます。


私たちは悪魔たちが考えるようなことはしません。細かいことにまで干渉し監督する必要がありません。そういう者たちが錯覚を起こすのです。そういう者は必要ないというのです。私たちには全能の神様、王の王であられるキリストがいらっしゃるではないですか!キリストこそ王なのです。わたしたちは愚かな権力構造や宗教を踏みつぶされるお方と関わっているのです。


いま世界中に教会ができ発展していますが、それは急進的かつ素晴らしい形で広がっています。なぜなら人々はあまりにも天使長の奴隷の位置に慣らされてきたからです。


権力のピラミッドから脱出した兄弟姉妹やいまも葛藤している兄弟姉妹と話をしていると本当に人々が神様との関係、神様のもとでの自由を享受してないことがわかります。


私は愚かな者の友にはなりたくありません。私は神様の友になりたいのです。愚かな者たちが私をどう言おうと気にしません。皆さんのことも陰で言われていますよ(笑)。


放っておけばよいのです。所詮、愚かな者たちです。


あなたたちを貶めることで哀れな姦淫者である自分を高めようとしているにすぎません。お金と権力に子犬のように尻尾を振る者たちです。


クリスマスにはあれをしないと、これをしないといけない。そうではないというのです。宗教が問題ではありません。生きた神様のみ言、生きた神様との関係、これこそ私が追い求め、欲する永遠の関係だということです。世界各国、各地から私たちが集まっているのもそれを求めて集まって来ているのです。組織のキム、ヤン、ファン…その他のいかなるものに呼ばれて集まったわけではありません。これをせよと命令する者たち。私たちは悪魔の僕ではないのです!私たちは自由な、神の人です!天宙の王と関わる者たちです。


クリスマスに必要なことはこれではありませんか。これより偉大なクリスマスはないでしょう。他のものは歴史の時間の中で流れていきます。問題は関係性です。

先週、様々な証がありました。式典中に先祖を見たという証もありました。ある人はなどは中心に立って先祖たちにあれこれ指示をだしたというのです。それでいいのです。あなた方が先祖にとっては主体なのですから。

神様を祝い礼拝するとき私たちは何をしているのかといえば神様との関係を築いているのです。

この間の韓国語礼拝を見られましたか?神様の花嫁たちが前に出て讃美の歌を歌いました。天から注がれた霊で涙がとめどなく流れました。心情と愛の爆発がありました。これこそ真の女性の時代です。真の女性はキリストの花嫁だからです。売春婦ではありません。夫に対して尊敬すべき誇りある貞淑なキリストの花嫁です。彼女たちこそ真の女性であり、お父様がおっしゃった世界を変える女性時代の主役です。権力とお金を欲し、それに喜びを見出す淫婦ではありません!

これはバビロンの淫婦に起こったことです。間違いなく裁きを受けるでしょう。

ジャマールはどこにいます?今日はお休みですか。彼はこんな風に言います。「天国に淫婦なんかいらねえよ!」(笑)

貞淑な女性と不貞の女性では大違いです。見識のある男性ならすぐに見抜くでしょう。見かけに惑わされることなく、その不誠実を通して直ちに見抜くのです。

キリストは何を望むでしょうか?キリストと関係性を築く人々を望むのです。偽りものを望まず、本物を望みます。真の関係です。

今日もまだ霊の働きを感じることができます。先週、とても力強い聖霊の働きがありました。キリストを求め求めながら関係性を深めていくのです。

人を喜ばせる必要はありません。人目を気にする必要もありません。神様を礼拝するとき、あなたと神様だけが問題だというのです。あなたをねたむ愚か者が問題ではありません。問題はあなたとキリストです。それが礼拝です。神様と私です。

先週、讃美の歌を歌い始めたとき、人目を気にする自分に気付くことができましたか?「霊は座れと言っているけど…みんなが立っているのになあ…」とか、叫びたい衝動に駆られるが思わず周りを見回す。そういうことがあったでしょう?

なぜそうなるのでしょう。聖書は「こころは戦場だ」といっています。そこでは自分に対する戦いが行われています。悪魔があなたに戦いを挑んでいるのです。悪魔はあなたの心を支配しようとします。一旦こころに恐怖を植え付けると何をするときも、あなたをぐらつかせることができるのです。すべてを不安にさせることができる。こうしてあなたを弱く、弱くしていくのです。恐れをあなたの心に注ぎ込んでさらに弱くさせようとします。神様の目から見たあなたではなく人目を気にする奴隷になるのです。こういう戦いをしているのです。だから讃美し、礼拝をすることで自分の心を見つめてほしいのです。

私たちは礼拝するものに似るのです。神様を礼拝すればより善になります。サタンの嘘を讃美すれば弱められるのです。そして完全にサタンの僕になります。

パウロはこういいました。「神は恐れの霊を与えられない。それは聖霊から来るものではない」。それは恐れの霊です。しかし多くの人々、特に霊的に幼い若者はそれに支配されがちです。たやすく侵入されるでしょう。恐れの霊はあなたを弱め、神様から与えられた可能性を損なおうとします。その可能性を壊す最も簡単な方法は、あなたの頭と心に侵入してこの嘘つきの言葉を信じさせることなのです。一生この恐れの霊にかしずきながら生きればどうなりますか。何をすることも恐れることになるでしょう。神様にかしずいていないから壁を破ろうとするとき必ず挫けてしまうでしょう。恐れの霊を持ちながら毎日訓読してもそれは宗教儀式以上のものにはならないでしょう。神様との関係性なしには人生の活力にはなりません。キリストと関係を持たなければなりません。

もちろん神様の礼拝において感情に流されてはなりません。だからみ言を基礎とするのです。群集心理に陥ることなくみ言に基礎を置くべきです。これが重要です。

礼拝では歌が問題ではありません。上手い下手が問題ではないのです。神様を讃美しているのかどうかが問題です。

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