2015年5月5日火曜日

2015年5月3日 キリストの花嫁たち 文亨進 ほぼ全訳

今回は、キリストの花嫁としてキリストと親密になることと、そのようなキリストの花嫁を妻として迎える男性の在り方に関する内容です。神学的難易度は高です。その為訳の難易度もかなりあります。

2015年5月3日 
キリストの花嫁たち 文亨進 ほぼ全訳


マタイによる福音書25:1-12

そこで天国は十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花嫁を迎えに出て行くのに似ている。その中の5人は思慮が浅く、5人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油は用意していなかった。

しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れ物の中に油を用意していた。花婿が来るのが遅れたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。その時、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。

ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った。「あなたがたの油を私達にわけてください。私達のあかりが消えかかっていますから。」

すると、思慮深い女たちは答えて言った。「私達とあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行ってあなたがたの文をお買いになる方がよいでしょう。」

彼女らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴の部屋に入り、そして戸が閉められた。


そのあとで、ほかのおとめたちも来て、「ご主人様、ご主人様、どうぞ開けてください」と言った。しかし彼は答えて、「はっきり言うが、私達はあなたがたを知らない」と言った。

数千年にわたってキリスト教徒達は、キリストの花嫁はキリストの体であると信じてきました。それは、全ての信者を指します。カトリックでは、修道女はイエス様と結婚する立場だと信じています。

私達はキリストの花嫁が何であり、誰であるかを理解する必要があります。ある人は、それは選民イスラエルにキリストが再臨することだと言い、また、ヨハネの黙示録には、「新しいエルサレムが天から降りてきて、花嫁が花婿に出会う」という記述があります。

それはイスラエル民族に関する何かが、キリストの花嫁だということです。

私達もキリスト教徒です。それは、私達の信仰はキリスト教に基ずいているからです。私達は成約時代のキリスト教徒です。

今まで、キリストの花嫁は、とても神秘的な概念でした。再臨主が来て、3日行事を与えるまでは、それは神秘的なものでした。3日行事によって、私達はキリストの花嫁が何であるかを知ることができるようになりました。

3日行事は、妻が上になり、夫が下になりというような内容があり、それはセックスの儀式だとか、恥ずかしいことだと私達は思っていました。

私達は夫と妻の適切な関係について、また、神様がどのように夫婦関係の中に性生活を与えてきたかを教えてきませんでした。なぜ多くの祝福家庭が、夫婦関係を悩んでいるんでしょうか。

それは、彼らが彼らの立っている位置を忘れているからです。3日儀式がこの問題の解決の糸口を示しています。結婚式に参加している全ての人が花嫁ではありません。

キリストの花嫁という概念において、そこには、イエス様とキリストの花嫁だけがいると、私達は考えがちですが、実はそこには、結婚式を助けている人などほかの人もいるのです。

ですから、私達は混乱し、教会は本来の関係からはずれていき、サタンの罠にはまっていくのです。サタンの本当の性質は何でしょうか。

先週の礼拝で説明したように、ギリシャ語の悪魔という意味である「Diabolos ディアボロス」という言葉には、「網を投げて私達を捕まえる」という意味が含まれています。またそれは、「繰り返し攻撃する」という意味も含まれています。

また、サタンは隠れるところが必要です。ですから、サタンに隠れるところを与えてはいけません。あなたは家のドアにいつも鍵をかけています。あなたは家のドアを開けたままにはしておきません。

鍵をかけていないドアは、開けたままのドアよりも安全です。なぜなら、サタンがそこを通った時、もしドアが閉まっていれば、サタンはそのドアは鍵がかかっているだろうと思うからです。しかし、そのドアが開いたままだったら、問題が起きます。

私達はこれから、霊界に影響を及ぼしていきます。これから私達の霊的五官が開かれていき、私達は霊界に入っていくのです。それで、あなた達は霊界について知る必要があります。

そこは、善の天使達だけが飛び回っているところではないのです。そこには悪魔もいるのです。

また「Diabolos ディアボロス」という言葉には、強姦する者という意味も含まれています。あなたはその攻撃から身を守らなければいけません。

ですから、あなたが家の外に出た時、あなたは神の武具を身につけなければなりません。霊界ではあなたは救いのヘルメットや、正義の胸板や、真理のベルトや、信仰の盾や、霊的な剣を持つべきです。霊的な剣とは、神様のみことばのことです。私達はそれらを準備しなければなりません。

もし私達が3日行事を理解しなければ、二世の祝福家庭が混乱するし、中には離婚していまう家庭もあるのです。二世は3日行事をする必要はありませんが、それを学ぶ必要があるのです

彼らは夫婦関係における夫と妻の適切な位置を学ばなければなりません。3日行事がそれを示してくれるのです。妻は堕落エバの位置から、キリストに従順にすることを通して、キリストの花嫁の位置に戻っていくのです。

夫は天使長の立場ですが、神様に対して従順屈服することによって、神の子の位置に再創造されるのです。夫がキリストと関係を持つ時、神の子の立場で、良い関係を作ることができるのです。

私はお父様とよく一緒にお風呂に入りました。そこには恥ずかしい気持ちなどありません。それはとても親密な関係です。

しかし、それは花嫁がキリストと持つ親密な関係とは違うものです。私達が夫と妻の適切な位置を理解すれば、夫が神様に従順屈服することによって、神様は神様の花嫁を夫に与えるのです。

それは、花婿によって聖別された花嫁です。雪のように白く聖別された花嫁です。それが神様の愛の力です。妻たちは堕落したエバの位置でしたが、キリストの愛と犠牲によって彼女らは聖別されるのです。彼女らは完全に聖なるものとなるのです。

それでは、マタイによる福音書25章を読んでみましょう。これは10人のおとめのたとえ話です。

まず、「花嫁」という言葉を見てみましょう。ギリシャ語の花嫁という言葉には、「義理の娘」という意味が含まれています。3日行事を理解してはじめて、私達は「花嫁」という言葉が同時に「義理の娘」という意味になることがわかるのです。

3日行事は、妻が真のアダムの花嫁であると同時に、彼の息子の妻(義理の娘)であることを示す唯一のものです。

今は結婚式のあと、花嫁と花婿は新婚旅行へ行き、親密な関係になります。しかし、古代ヘブライ人の伝統はそれとは違うものでした。花嫁と花婿は、性的な関係を持ってから、結婚式をおこなったのです。それは、現代の結婚式とは反対の順序です。

次に「思慮深い」という言葉を見てみましょう。ギリシャ語では「Phronimosフォロニモス」という言葉です。この言葉は、経験によって得られる知恵でも、知識によって得られる知恵でもありません。それは心情による知恵であり、愛による知恵です。それが花嫁が神様に対して必要な知恵です。それは、彼女は神様の為に存在し、神様の為に呼吸をし、神様の為に心臓が脈を打つということです。

あなたが3日行事の意義を理解すれば、あなたのキリストの花嫁という適格な位置と、マタイ25章にある「思慮の浅い」と「思慮深い」の違いを理解するでしょう。

この「思慮の浅い」はギリシャ語では「Morosモロス」です。これは医学の用語で、神経が鈍くなるという意味です。この中で何人の人が、花婿に対する愛によって、霊的な神経が鈍くなりますか。

世界の教会を見てください。彼らは今、「知恵」を求めているかもしれませんが、「それは心情による知恵」ではありません。彼らはある意味で霊的な覚醒や知的な知恵を求めているかもしれません。それは悪いことではありませんが、それは「花嫁の知恵」ではありません。それはキリストとの親密さを通しての最高の知恵ではありません。

私達は違う種類の知恵を得なければなりません。それは私達がキリストの花嫁の立場であっても、神の子の立場にあっても同じことです。それはフォロニモスの知恵です。

ギリシャ語の「思慮の浅い」にあたる「モロス」という言葉は、ある意味では身体に障害があるという意味を含みます。あなたは神経に障害をもって最高の知恵を経験できないのです。それが「思慮の浅い」という意味です。

キリストとの親密な関係において、お父様を私達の命の中心にする中で、花嫁はこのようなモロス(思慮の浅いこと、愚かさ)を避けなければなりません。それはお父様に対する熱意が鈍くなってしまうことです。

もし私達の心臓の脈がだんだん遅くなったらどうなりますか。私達は深刻な呼吸困難や不快な状態を経験します。私達は、体を維持するためには、心臓は正常に脈打つべきであり、肺は正常に呼吸すべきです。

「思慮の浅い人」と「思慮深い人」には違いがあります。今日の聖句では「思慮の浅いおとめは、あかりは持っていた」とあります。彼女らはあかりは持っていたのです。それは正しいことです。

これらのおとめは花嫁でした。彼女らには花婿が約束されていました。それからどうなりましたか。彼女らはあかりは持っていました。このあかりとは何でしょうか。

聖書にはキリストは光であると書かれています。多くの人はあかりであるキリストを手の中に持っていますが、油を持っていないのです。そこにあかりがあっても、中に油が入ってなければ、どうやって回りを見るのですか。

彼女らはあかりは持っていたが、油は入れていませんでした。ここで油とは何でしょうか。この油とはギリシャ語で「elaionエレオン」でオリーブオイルのことです。

このオリーブオイルはオリーブの木からとられました。あかりに入れる燃料は油です。喜びの油、キリストから来る油を得る為には、あなたはキリストと関係を持っていなければなりません。

もしあなたがキリストとの親密な関係を持っていなければ、あなたは油を持っていません。あなたがたとえキリストという名前のあかりを持っていても、それには油が必要なのです。

オリーブオイルにはいろいろな種類があります。最初に搾り出したものを、バージンオリーブオイルと言います。それは一番きれいで純度の高い油です。

2回目に搾り出したものは、エクストラバージンオリーブオイルと呼ばれます。しかし、それはバージンオイルほど純度は高くありません。

イスラエル民族が幕屋の中であかりに使ったのは、エクストラバージンオリーブオイルではなくて、バージンオリーブオイルです。それは最初に搾り出されたものです。

オイルを取り出すには、搾り出さなければなりません。それと同じように、喜びのオイルを得るには、あなたは神様からそれを搾り出さなければなりません。ただ待っているだけではいけません。あなたはそれを求めなければなりません。

花婿が遅れていて、全ての花嫁が寝ていた時、「今花婿が到着しました」という声が聞こえてきました。おとめたちは急いであかりを灯しました。

油を持っていなかったおとめたちは、油を持っているおとめたちに「油を分けてください」と頼みました。しかし、油を持っているおとめたちは「それはできません。あなたたちは自分でそれを買ってきてください。」と言いました。

世界の多くの教会は「お父様あなたを愛します」と言っていますが、彼らはあかりは持っていますが、油は持っているのでしょうか。オリーブの木からきている聖別の油を持っているのでしょうか。

もし私達が私達の妻にキリストを愛することを許し、彼女にキリストの花嫁になることを許すなら、私達は彼女を失うと考えるかもしれません。

しかし、もし私達が彼女がキリストの花嫁の立場になることを願うなら、もし私達が神の子の立場で、彼女が神様に近くなることを願うなら、私達は彼女を失うのではなく、彼女を得るのです。

そうすれば、私達は聖別された彼女を得るのです。その油は幕屋の中で使われ、イエス様が癒しの為にも使われました。その油は癒しの油です。

それは、信仰の盾になる油です。それはキリストの兵士の武器です。信仰の盾は小さな丸い盾ではありません。ローマ軍には2種類の盾があります。1つは小さな丸い盾でパレードに使うものです。それは戦いには使われません。

実際戦いの時に使うのは、体全体をカバーできる長方形の盾です。この信仰の盾が頭の先から足の先まで私達を守るのです。悪魔が私達を攻撃する時、私達は体全体が守られているのです。

しかし、私達はその盾に油を塗らなければなりません。もし盾に付いている革に油を塗らなければ、乾燥した天気の時、革が乾燥して、ちぎれやすくなり、敵が攻撃した時、その盾は飛ばされてしまいます。

あなたは、あなたの信仰の盾に油を塗らなければなりません。私達はサタンの攻撃から私達を守る為に油が必要です。サタンは私達に繰り返し矢を放ち、網を投げているのです。

信仰の盾は私達をそのような攻撃から守るのですが、そのためには私達は油で聖別しなければなりません。

私達がお父様と親密な関係を築いた時、私達は聖別の油を受けるのです。夫が妻に対してキリストの花嫁として、もっとお父様を愛するように勧める時、彼女は、この人は彼女を自分の喜びの為に使う人ではなく、この人は彼女の心を理解している人であり、賢い人であり、彼女のキリストとの永遠の関係を願う人であり、本物の男であることを理解するのです。

女性が本物の男を得た時、彼女はその人を心から愛するのです。私達が私達の妻をキリストの花嫁として立つことを願う時、いかなる思想もそれに勝ることはできません。

もしあなたが権力を願うなら、もしあなたがそれを得た時、あなたはより不安になります。あなたが間違った思想に基ずいて、ある権力を握りさえすれば満足できると思っているなら、やってみてください。

世の常識は、もし私達が権力とお金さえ持てば、私達は安定すると言います。しかし、あなたは権力とお金を持てば持つほどより不安になるのです。

あなたの心を満足させ、不安を乗り越えさせる唯一のものは、愛です。
キリストの花嫁としての愛です。それがあなたに本当の力を与えるのです。

女性の皆さん、あなた達がキリストと親密な関係になった時、あなた達は輝いています。その時あなた達は美しく、オリーブオイルによって聖別された存在です。あなたは幕屋の中にいて、聖なる場所を照らしているのです。

私達はお父様の絶対性の話を夫と妻の関係だけのことだと思っていました。しかし、私達は最も重要なことを忘れていました。それは神様です。お父様は、夫と妻が親密な関係を結ぶ時、そこに神様がいらっしゃると言われました。

しかし、あなたはそこに神様を呼ばなければいけません。もしそうしなければ、あなたは空井戸のように乾いてしまいます。あなたの祝福は実りあるものにはなりません。愛が消え始めてしまいます。

あなたは超自然的なものから来る超自然的な力を持たなければなりません。あなたは真のオリーブの木から来る喜びの油を持たなければなりません。あなたは神様と親密な関係を築かなければなりません。

今日の聖句の中に、「夜中に「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした」と書いてあります。だれがこのことを叫んだのでしょうか。そのためには古代ヘブライ人の結婚式の思い出す必要があります。

花婿と花嫁が花嫁の部屋で会う時、その部屋の前に門番が立っています。その人は花婿の最も近い友人です。その人が花嫁と花婿の性関係が終わった後、「花嫁と花婿の入場です。祝宴の準備をしてください。」と宣言するのです。

この人は誰でしょうか。この人は神の子です。「私はあなたが花婿と親密な関係になるのを守ります。」と言うのです。もし夫が、ドアの前に立って、妻がキリストと親密な関係になることを勧めて、神様の存在に熱意を感じ、妻がドアから出てきた時、妻とキリストとの親密な関係を祝うことができるなら、その夫は妻に対してどれだけ美しいことでしょうか。

それが真の愛の人です。なぜなら彼はただ妻がキリストと親密な関係になるのを支えただけではなく、彼はドアの前であなたを守ったのです。それによって、あなたは最も深い愛をキリストと分かち合ったのです。

彼は自分の為に生きている人ではありません。彼はあなたを自分の喜びの為にあなたを所有している人ではありません。彼はあなたの本当の願いを理解している人です。

もしあなたがこの話を理解するなら、全ての女性にとってだけではなく、全ての男性にとっても、私達はその宴会を宣言する人であり、ドアの前で守っている人であり、彼女がキリストと親密な関係になったことを祝う人なのです。

彼女はキリストの花嫁であり、彼女は神聖であり正義です。彼女はキリストの前にしみ一つない純粋な人です。


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